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大阪地方裁判所 平成10年(ワ)2808号 判決

原告 A野花子

右訴訟代理人弁護士 段林和江

渡辺和恵

高瀬久美子

養父知美

被告 B山太郎

右訴訟代理人弁護士 川﨑祥記

被告 B沢県

右代表者知事 C海次郎

右訴訟代理人弁護士 俵正市

右訴訟復代理人弁護士 井川一裕

主文

一  被告B沢県は、原告に対し、五五万円及びこれに対する平成一〇年四月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告B沢県に対するその余の請求及び被告B山太郎に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告B沢県との間においては、原告に生じた費用の一〇分の一を被告B沢県の負担とし、その余は原告の負担とし、原告と被告B山太郎との間においては全部原告の負担とする。

四  この判決一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、連帯して五五〇万円及びこれに対する被告B山太郎は平成一〇年四月五日から、被告B沢県は同月七日から各支払済みまで、年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が、被告B山太郎(以下「被告B山」という。)から、原告に対し、平成五年九月から平成一〇年三月まで、数々の嫌がらせを受け、その人格的利益を侵害されたとして、同人に対し、不法行為に基づき、また同人は公権力の行使にあたる職員であり、その職務を行うについて、故意に原告の人格的利益を侵害して損害を与えたとして、被告B沢県に対し、国家賠償法一条に基づき、それぞれ原告の精神的損害及び弁護士費用の損害賠償を請求するとともに、さらに被告B沢県は、原告の雇用者として、働きやすい職場環境を提供すべき雇用契約上の義務があるにもかかわらずこれを尽くさなかったとして、被告B沢県に対し、債務不履行に基づき、精神的損害及び弁護士費用の賠償請求をする事案である。

一  前提事実(争いのない事実等)

1  当事者

(一) 原告の経歴と現在の地位

原告は、昭和五一年二月、A本市立大学院研究科博士課程を中退し、同年三月一日、B沢県立医科大学助手に採用され、公衆衛生学教室に勤務している。

(二) 被告B山

A本大学微生物病研究所副手、同大学医学部助手を経て、B沢県立医科大学にて細菌学教室の助教授に就任し、平成五年四月一日、公衆衛生学教室の教授に就任した。被告B山は、原告の直属の上司である。

(三) B沢県立医科大学(以下「B沢医大」という。)

昭和二七年に被告B沢県が、B沢県立医科大学設置条例に基づき設置した医科大学であり、原告及び被告B山は被告B沢県が雇用する公務員である。

2  B沢医大の組織

(一) B沢医大は、被告B沢県が設置する医学部のみの単科大学である。医学部は、一般教育と専門教育とから構成されているが、専門教育は、教員の専門的研究及び学生の専門的教育等を担当する部門で、授業科目及び講座が設けられている。B沢医大の専門教育部門は、基礎医学と臨床医学に分かれ、基礎医学には一三講座及び一授業科目が、臨床医学には二〇講座及び一授業科目が設置されている。講座、一般教育の科目については、日常的に「教室」と呼ばれている。

(二) 教室は、医学部における組織構成、管理運営の基本単位となっている。基礎医学の教室の人員は、教授、助教授、講師、助手、教務職員からなり、一講座に一人の教授が配置され、この教授を「教室主任」と呼ぶ。毎年講座研究費、学生実習費、物品費等の予算についても、各教室に配分され、各教室においてこれらの予算を執行し、これによって購入した機器、備品を管理している。また、各教室に対しては、教授室、研究室及び図書室等が割り当てられ、各教室において利用及び管理がされている。なお、大学院中央研究施設のうち特定の施設、機械装置は、教室独自の施設ではなく、全学の教員、学生等が利用できるものではあるが、そのうち特定の教室の利用頻度が高いものについては、当該教室の管理に委ねられるものもある。後記の原子吸光室及び原子吸光装置は大学院中央研究施設の機械装置であるが、公衆衛生学教室に管理が委ねられている。

(三) B沢医大は、大学として、学長が校務を掌り、所属教職員を統括するが、研究教育、施設管理、学生管理、金銭管理等いずれについても教室単位として行われ、明確な規定はないものの、施設管理、講座研究費の配分管理等の権限は教室主任に委任されている。

旅行命令及び復命については、学長の専決事項であるが(B沢医大事務決裁規程三条二項)、その旅行伺兼旅行命令簿に教室主任の押印を得たうえで総務課に提出することとされている。

教員の服務に関する願及び届の処理も学長の専決事項であり(同規程三条二項)、休暇については、その届出は教室主任の押印を得て届け出るものとされている。

兼業承認願については、教室主任を経て学長に申請し、学長は教授会の決議に基づき知事に内申する(「教員の兼業の取り扱いについて」一条二項)。

(四) B沢医大においては、基礎医学系の教室から代表一名が出席して構成する「グルンド会」という会があり、予算要求、各種委員会の委員の教授会に対する推薦等を行っている。

3  被告B山の教授就任に至る経緯

(一) 公衆衛生学教室の教授選考

B沢医大の教授会は、平成四年九月二二日、公衆衛生学教室のC川松夫教授(以下「C川教授」という。)の退職に伴う後任教授を選任するため、選考委員を選出し、同日、教授候補者選考委員会が設置された。選考委員会は公募要綱を定めて公募を行ったが、その公募要綱の中に、「医師であることが望ましい」との条件があった。

平成五年一月一一日、基礎医学の教室に所属する医師資格をもたない助手、講師らの有志約二〇名が集まり、原告が中心となり、右公募要綱の「医師であることが望ましい」との条件は、非医師研究者の応募の機会を奪い多くの優秀な人材の登用の機会をも妨げるとして、再考と再公募を求める旨の要望書を作成し、原告が代表して、選考委員長D野夏夫宛に提出した。しかし、再考、再公募は実現しなかった。

(二) 被告B山の応募と選挙

被告B山は、B沢医大の細菌学教室の助教授であったが、公衆衛生学教室の教授選考に応募した。教授選には被告B山の外は一名しか応募せず、応募者二名のままで投票となり、B沢医大教授選考に関する規程七条三号により、被告B山が公衆衛生学教室の教授に選任された。その結果、同年四月一日、被告B山は公衆衛生学教室の教授に就任し、原告の直属の上司となった。

4  公衆衛生学教室の構成及び教室会議

(一) 公衆衛生学教室の構成

平成五年四月一日当時の構成は、教授一名(被告B山)、助教授一名(D原春子、以下「D原助教授」という。)、講師一名(E田竹夫、以下「E田講師」という。)、助手二名(原告及びA田梅夫《その後退職》)、教務職員一名(B野夏子《その後退職し、C山秋子に代り、平成一〇年五月からD川冬子に代わる。》)であった。

(二) 公衆衛生学教室における教室会議

公衆衛生学教室においては、従来から、教室の教員等による教室会議が開催されていたが、被告B山は、平成五年四月一日、教室主任に就任後、教室会議を開催して、就任の挨拶と若干の注意事項を話すなどし、その後、同月一四日の教室会議で、教授会の日の次の水曜日に教室会議を行うことが決められた。

5  B沢医大教授専攻・教授会構成検討委員会の設置と基礎助手会の結成

平成五年九月一四日、教授会で、教授会の構成から非教授を除くか否かを検討するため、B沢県立医科大学教授選考・教授会構成検討委員会(以下「検討委員会」という。)の設置が決められた。原告は、教授会から非教授を除くことに反対の立場をとり、同年九月二〇日基礎医学系の教室の助手らと基礎助手会を結成し、原告が代表となった。また原告は検討委員会の委員になった。なお基礎助手会は、平成七年秋ころからは事実上活動を停止している。教授会の構成については、平成六年三月二二日の教授会において、B沢県立医科大学教授会規定の改定が決定され、学長及び専任教授をもって組織することになった。

二  争点

1  被告B山の原告に対する嫌がらせ行為の有無

2  被告B山の不法行為責任の存否

3  被告B沢県の国家賠償法による責任の存否

4  被告B沢県の債務(職場環境配慮義務)不履行責任の存否

5  時効の成否

6  損害の有無

第三争点に対する当事者の主張

一  争点1(被告B山の原告に対する嫌がらせ行為)について

1  原告

(一) アカデミック・ハラスメントについて

研究者に固有の性差別を「アカデミック・ハラスメント」という。アカデミック・ハラスメントは、三つの要素から成る。第一は、働く女性に共通の採用差別・昇進差別。第二は、研究職という職場に固有の性差別。これは、透明性・流動性の少ない密室人事、長期にわたる徒弟奉公とボスの専制支配、大学の自治の名における相互不干渉と監督責任の不存在が背景になって生じる。この種の権力関係の中で被害を受けるのは女性と限らないが、下位の職種に女性が集中し、下位の職種においても女性が被害を受けやすい。第三は、セクシュアル・ハラスメントである。

被告B山が、助手である原告に対して行為は、教室主任たる地位、権限を濫用し、あるいは越権し、あらゆる機会をとらえ、繰り返し行った嫌がらせであって、まさにアカデミック・ハラスメントである。

理工系の研究プロジェクトは、多くの場合、教授を頂点とするピラミッド構造となっており、ピラミッドが大きければ業績が上がる構造となっている。そこで、ある講座において教授が代った場合、そこには前教授のもとで働いていた教職員が残っているのが通常であるから、新たな教授としては、これらの教職員を、自分の研究テーマに従った研究を行う者と入れ替えたいと思うが、退職させることができないため、いじめ、嫌がらせに繋がる。被告B山の場合も、専門の異なる分野から教授に就任したもので、前教授とは研究テーマが大きくかけ離れており、原告が、嫌がらせを受けやすい構造的な関係にあったのである。

(二) 背景事情

(1) 被告B山には、前記のような事情のほか、教授選任における私憤をはらすという動機が存在した。

原告は、C川教授の退職に伴う後任教授を選任するための教授候補者選考委員会が公募要綱に「医師であることが望ましい」との条件を付したことから、基礎医学課程教員有志の代表的立場で、この条件を外し、再公募を行うよう要望書を同委員会委員長宛に提出して活動してきた。

右教授選挙においては、被告B山を誹謗する怪文書が流布したが、被告B山は、右選挙中から、右怪文書を流布したのは原告であるとの疑いを有していた。

被告B山は、自分が公衆衛生学の専門家でないとの引け目に加え、右要望書を自分に対する攻撃としかみられない偏狭な姿勢をもち、右要望書提出の代表的立場にあった原告を恨むようになった。

(2) 原告に恨みをもって公衆衛生学教室の主任教授となった被告B山に、教室助手であった原告は目障りであった。そこで、被告B山は、教授の地位を利用して原告への恫喝を始めた。被告B山は、その第一歩として、平成五年四月八日、原告を呼び出し、怪文書を書いたのは原告だろうと問い詰め、「名誉毀損で訴えてやる。」と恫喝した。そして、被告B山は、原告が広島大学への助教授に応募した際には、学長の推薦まで取り付けて、原告を学外に出そうとしたが、原告が登用されず、目的を達しなかった。

(3) 学長E山秋夫(以下「E山学長」という。)は、平成五年九月一四日の教授会において、教授のみによる教授選挙を行い、教授会は教授のみによって構成するとの趣旨の教授選考及び教授会員の検討を提案し、検討委員会が設置された。原告は、基礎部門の助手会の代表となり、E山学長に異議を述べた。被告B山は、E山学長から、その情報を得て、かねがね恨みを持ち、嫌悪していた原告に対する嫌がらせの後ろ盾を得、同月二二日、教室会議において原告を恫喝する行動に出たのである。

(4) 被告B山は、同月二二日の教室会議を開催し、被告B山、原告、D原助教授、E田講師、B野教務職員、E原助手、A川院生、B原医師の八名が出席した。

被告B山は、平成六年度の大学院中央研究費による機器購入に関し「夏休み中だったので全員の意見を聞いたわけではないが、既に機種を決めてグルンド会に提出した。」と報告した。そこで、原告が、「次年度より私の意見も聞いてほしい。」と要望を述べたところ、被告B山は了解せずに、逆に、「あんたがその時にまだいればね。」と発言をした。これは、被告B山に原告排除の意思があったことを明確に示すものである。

次に、被告B山は、地方公務員法の抜粋のコピーを配付して読み上げたあと、大要、「教務職員は教授が任命している。勤務実績があがらないとか、公務員としての品位にかかわるようなこと、人の名誉を失墜させるような、そういったことをされると一年の猶予をもって退職、免職ができる。助手は、任命者が教授並びに学長の同意になっている。講師と助教授は、任命者が知事と教授会になっている。教授は教授会メンバーの選考と知事の命令になっている。段々に降任、免職の手続きが複雑になっている。」と述べて、原告を脅した。

原告は、大学の研究・教育職の職員であるところ、大学の研究・教育職は、その職務の性質上、職務遂行の時間、場所、方法について、職員の広範な裁量権限が不可欠である。もちろん、研究・教育機関たる大学全体の円滑な運営や秩序維持、または施設、機械装置の管理その他のため、一定の規制や上司による指導・監督の必要性自体は否定できない。しかし、あまりに煩雑、恣意的な規制や指導は、必要性に乏しいばかりか、職員の研究・教育の自由を侵害し、研究・教育職務遂行を阻害し、研究・教育活動の効果をも妨げる。このため、B沢医大における公衆衛生学教室においては、研究・教育職員の場合、出勤時間や退庁時間や勤務場所を厳格に規制することもなく、学生に対する指導や実験・研究が早朝や深夜まで及ぶことや休日に出勤することもあれば、平日に自宅で論文を書いたり共同研究のために他大学に行ったりすることも、各自の自覚と良識を信頼し裁量に委ねることが広く行われており、緊急時の連絡先を明らかにしておく等の最低限必要なこと以外、細かな届出や許可を要求することなく行われているのが通常である。そして、被告B山は、平成五年四月の会議で、「スケジュール表は作らなくてもよい。」と言い、また、そのころ口頭で、「早退も休むときもいちいち言わなくてもよい。理由も言わなくてもよい。」と告げていたものである。

(三) 研究妨害

学問、研究の自由は憲法の保障する精神的自由権の一つであるから、絶対的な自由というべきであり、原告がどのような研究テーマを選び、どのような研究活動をするかは、原告自らに決定する自由が保障されなければならない。そこで、大学教官の勤務のあり方は、その職務の特性を十分に考慮する必要がある。したがって、大学教官、特に自然科学系の研究者である教官が研究業務を行うについては、それぞれの教官が自立性をもって時間配分を行うことが許されるのであり、大学に出勤し、在校することが職務専念義務であるとはいえない。しかるに、被告B山は、職務専念義務などに名を借り、以下の様々な研究妨害を行った。

(1) 出張妨害

出張には、学会、研究会に出席する場合のほか、研究の必要上他大学の機械を借りる場合、他大学の研究者と共同研究のために必要となる場合がある。研究者にとって、これらの出張は欠かせないものである。そして、出張する者は、旅行伺兼旅行命令簿を提出し、教室主任が押印欄に押印する手順になっているが、教室主任に許可権限はなく、学長の許可を得るための窓口に過ぎない。しかるに、被告B山は、前記九月二二日の教室会議において、「大学への兼業届け以外の出張は、たとえ半日でも総務に届け出ること」と発言し、教授就任直後の了承事項を翻し、以下のように原告の出張に対する妨害を行った。

ア 平成六年五月二三日のA本市立大学への出張の妨害

被告B山は、同日の原告の出張について、同帳簿への押印を拒否し、原告が事務局から言われて再度持っていくとようやく押印した。

イ 同年八月二九日ないし三一日の出張中の嫌がらせ

被告B山は、廃液の入った容器とゴミ袋を第二研究室の中に置いた。また、無断出張との言いがかりをつけた。右廃液は、原告の実験によって生じたものではない。また、ゴミは第三研究室のゴミ箱のゴミであった。

ウ 平成七年五月二四日の発言

被告B山は、教室会議において、「あんたは出張しすぎや。出張には日数制限がある。超えている。年休を含めて年に二〇日までや。」と述べて、原告の出張日数を制限しようとした。

エ 同年七月一一、一二日の出張に関する言いがかり

被告B山は、「無断で出張した。」「欠勤扱いにして夏季休暇から引く。」とのメモを原告の机の上に置き、無断出張だと言いがかりをつけた。

オ 平成九年二月以降の京都大学での共同研究を巡る出張妨害及び原告の研究に無関係の出張命令(宿泊費を自己負担)

平成八年秋ころから、原告と京都大学のC田春夫助手(以下「C田助手」という。)とで共同研究を始める話が持ち上がり、被告B山も了解した。原告は、大学が春休みになる平成九年二月から三月にかけて、集中的に京都大学に出張してアスベストの共同研究を行おうと計画し、同月二五日に出張の了解をとるために被告B山に口頭でその旨説明した。ところが、被告B山は翌二六日、原告の机の上に、「週八時間以内が本学外での自由時間として認められるものです」等記載したメモを置き、原告が「秋に学会もあるし、準備のために実験が必要であり、B沢文化女子短期大学の講義がない春休みに出張したい」旨を説明して出張の了解を求めても、許可しなかった。そのため原告はその時期の出張を断念せざるを得なくなった。

他方で被告B山は、原告の研究に全く関連がないにもかかわらず、三月八日、九日と岡山大学での衛生学・公衆衛生学の教育に関する研究会に出席するよう原告に出張を命じた。しかも、土、日曜日にかけて宿泊が必要であるにもかかわらず、旅費宿泊費を原告に自己負担させた。

カ 平成九年七月九日の出張

原告は同年七月九日の午後に京都大学で共同研究することになったため、被告B山の承諾を得ようとしたが、同人が不在であったため、事前に承諾を得ることができなかった。そして、翌一〇日に前日の出張の説明をしたところ、被告B山は、「行くのは構わないが、わしはあとから聞いたから年休届けを出してくれ。」と言って出張扱いにすることを拒否し、年休届を出させた。

(2) 原告の行動監視

ア 被告B山は、平成五年九月二二日の教室会議において、行先掲示板の設置を決めた。そして、その使い方として、単に行先を明示することのみならず、無断で退出したり、無駄なことをしていたら有給休暇とみなして、その日数から差し引くと告げた。すなわち、「無断退出は、一時間以上は名札の下に書いて頂きたい。八時間たまると有給休暇一日に相当する。一時間以上職場を離れる場合は、必ずそこに書いておく。一時間以上無駄なことをしていれば有給休暇だから、引かせて頂く。」等と発言した。右行先掲示板の設置は、原告の勤務や行動を監視する目的であり、その自由な研究活動や基礎助手会の活動への不当な干渉であり、原告に無意味な精神的圧迫を与えるもので、原告を標的とした嫌がらせのためのものである。

イ 平成五年一〇月一四日、被告B山は、教務職員B野を通じ、教室を三〇分以上離れる場合は行き先を明記するよう命じたメモを交付した。

ウ 平成七年一〇月の教室会議は九日の予定であったが、突然中止され、同月三〇日に変更されたので、原告がこの教室会議を欠席したところ、被告B山は、同年一一月一日、右教室会議で決定したとして、教室を一時間以上離れるときは行き先を明記するよう命じた。

エ 平成一〇年二月一七日、原告の名札の横に「大学に出られたら札を変えるようにして下さい。公の規制は協調性をもって守るように。主任」と記載した。

(3) 原子吸光室の鍵、原子吸光装置の管理

被告B山は、教授に就任した直後の平成五年四月の教室会議で、原告が原子吸光装置を管理、指導することを確認していた。しかるに、被告B山は、平成五年九月二二日の教室会議において、「原子吸光装置を、今後は原告に無断で使用する。機器は皆のものだから。」と、原告に原子吸光装置を管理させない旨の発言をした。これは、原告の管理を必要もないのに排除し、原告の研究を不当に妨害するものである。

(4) 第二研究室の管理の干渉、侵害

ア 被告B山は、平成五年九月二二日の教室会議において、「あなたの部屋ではないから」と言って、第二研究室前の原告の名札を外すように求めた。しかし、右の名札は、在・不在・所在を示すものであり、これがあるからといって、右研究室がプライベートルームになるものではなく、研究室の私物化になるものでもない。これを外させたのは、原告の第二研究室の使用管理への干渉であり、嫌がらせである。

イ 被告B山は、平成七年六月一六日、原告が不在の間に、留学生に対する原告の机の明渡しに際し、移動させる必要がないと言っていた机の下の原告の本などの所持品を勝手にダンボールに詰め込み、第六研究室の隅に移動させて放置した。

ウ 被告B山は、平成七年一一月一日に、同年一〇月三〇日の原告不在の教室会議で決定したとして、「先生が退任されても研究室は残ります。第二研究室の仕切を取り払っていただくよう皆さんが望んでいます。」等と記載した報告事項を原告の机に置き、原告に圧力を加えた。右仕切を原告の意に反して取り除く理由はない。

(5) 研究費の不当配分

平成七年一〇月三〇日の原告不在の教室会議で決定したとして、被告B山は、研究費を欠勤した場合には減額する旨原告に通告した。欠勤とされる内容が不明確、恣意的であるうえ、研究に必要な費用が出勤、欠勤と直結する合理性がない。

(6) 動物購入を巡る嫌がらせ

ア 平成八年一一月一三日ころのラット購入について

実験用動物の購入については申請書に教室主任の押印を得て動物施設長に一週間前までに提出する必要があるので、原告は、被告B山に対し、二週間前に購入承認願を提出していたが、被告B山は、これを施設長に提出するのを故意に遅らせた。

イ 平成九年一〇月二九日ころの購入について

原告は、一〇月二九日のラット搬入についても、二週間前に購入承認願を提出していたが、被告B山は、これを施設長に提出するのを故意に遅らせ、当日ラットが搬入されても手続をしないので、原告は、午前一一時三〇分ころ再度申請書を作成して持参したところ、午後一時二〇分ころ、自分で動物舎に持って行くようにとのメモを付けて原告に交付し、原告自身に持っていかせた。被告B山は右承認願を紛失したというが、書類が見あたらないといって引き延ばしたのである。

(7) 学生実習の指導に関する嫌がらせ・中傷

ア 平成七年九月二五日の実習発表

被告B山は、原告に連絡することなく、一〇月に予定されていた実習発表を九月二五日に行い、原告を欠席させて、これを咎め、原告の信用を失墜させた。

イ 平成九年一〇月一三日の実習発表

被告B山は、同日の発表に原告が九時五分に到着したことを捉え、「実習発表の時間内にみだりに遅れて出勤したり、自分が指導しているグループの発表に必要とする資料のコピーをするような教育公務員として極めて不適切な行為をしないようにすること」と書いたメモを渡した。

(四) 学内人事(学内講師推薦)を巡る嫌がらせ

被告B山は、原告が学内講師の推薦基準を十分満たしているにも関わらず、原告に対する嫌悪から恣意的に推薦しない。

(五) 専門外の応募をせまり大学から追い出そうとする嫌がらせ

被告B山は、原告に対し、原告を大学から追い出すために、以下のとおり、専門外や応募資格のないもの、採用の可能性がないことの明らかなものへの募集をせまり、嫌がらせを行った。

(1) 平成七年六月一二日

原告に対し、広島大学総合科学部の国際法と心理学の講師に応募してはどうかと勧めた。

(2) 同年七月ころ

A本市立大学生活科学部の発達保健学の助教授及び長崎大学薬学部の薬学部教授の応募書類と「コウノ殿、母校の方もあります。APPLYされてはいかが?主任」と書いたメモを原告の机に置いた。

(3) 平成八年八月ころ

原告の机の上に、相模女子大学の栄養生化学の助教授又は教授の応募書類を置いた。

(4) 同年一一月ころ

原告の机の上に、A本市立大学生活科学部栄養生化学講座の講師又は助手の応募書類及び「コウノ先生Application真剣に考えられてはいかがでしょう?主任」とのメモを置いた。

(5) 同年一二月九日

教務職員C山を通じ、原告に対し、京都大学人間環境学寄付講座の助教授(臨時教員)の応募書類を渡した。

(6) 平成九年一〇月ころ

原告の机の上に、香川医科大学の医療管理学の助教授の応募書類及び「コウノ君、応募されてはいかがでしょう?主任」のメモを置いた。

(7) 同年一一月ころ

原告の机の上に、旭川医科大学の公衆衛生学教室の教授の応募書類及び「コウノ君 よければ応募されてはいかがでしょう?」とのメモを置いた。

(8) 平成一〇年一月一三日

原告の机の上に、滋賀医科大学の予防医学講座の助教授の応募書類及び「コウノ君 応募を一考されてはいかがでしょう。主任」とのメモを置いた。

(9) 同年一月二三日ころ

原告の机の上に、大阪府立看護大学医療技術短期大学部栄養学科の講師、北海道医療大学歯学部口腔生化学講座の教授、長崎大学医学部の放射線疫学の担当教授の応募書類及び「コウノ君、応募されてはいかがでしょう?失礼ですが、万一資格がないようでしたら、とってでも応募されるというのはどうでしょうか?」とのメモを置いた。

(六) 休暇取得に関する嫌がらせ

(1) 平成六年一月四日

原告のロッカーの隣のロッカーに、被告B山の書いた「一月四日にコウノ助手が休むのか? 否か? 休むのであれば無断欠勤になるが確かめて下さい」とのメモが張り付けてあった。これは、原告を監視するためのものである。

(2) 平成六年八月八日

夏季休業中は、研究者は研究に支障がない限り自宅研究できるのが慣例であるにもかかわらず、原告が八月八日に休んだところ(しかも原告は同僚に休むことは告げている。)、被告B山は、同月九日「無断欠勤を説明せよ」と原告の名札の横に記載した。

(3) 平成七年一二月二七日

原告は、一二月二四日、公務であるLECラット実験のため出勤し、同月二七日代休届を出して休んだところ、被告B山は、翌日「コウノ君本年から休暇や出張は上司にまず伺いをたて、許可を受けるのが原則です。必ずいかなる場合もそうして下さい。また、二日以上にわたる病欠の場合は、必ず医師の診断書を出すようにして下さい。主任」とのメモを原告の机に置き、原告の名札の横には「休日に上司の命令etcで出勤した場合を除き、その代休は法規で認められておりませんので、一九九六年度から無断欠勤扱いとなりますので銘記しておくように!!」と記載した。

(4) 平成九年一〇月二三日

原告が体調が悪いため朝ファックスで連絡して休んだところ、被告B山は、C山教務職員を通じ、「B山先生から伝言です。病気により休む場合は診断書を出して下さいとのことです。」と自宅に連絡してきた。通常はファックスによる病欠も認められており、ことさらこのような連絡を自宅によこすのは嫌がらせ以外の何者でもない。

(5) 平成一〇年一月一九日

原告が同日代休を取ったり、さらに体調不良のため医師の診断書をファックスで送信して三日間休んだところ、被告B山は、出勤した原告の机に、「コウノ君 時間外出勤の代休を取る権利は認めますが、公務員である以上、上司への許可願いが必要となるのではないでしょうか? 下記書類に代休と書き、C山さんに提出されたし 主任」とのメモと年次休暇届の書類を置いた。従来より、休日出勤を命じられたときは、代休を取る旨後日口頭で教室主任に告げることで足りていた。例えば、平成八年三月八日には、三月一三日の子供の卒業式には二月二五日の入試監督の替わりに休んでも構わない、書類の提出は不要であると言っており、被告も届けを出さなくてよいことを従来から認めていたにもかかわらず、このような手続を要求したのは、原告に対する嫌がらせである。

(6) 同年二月二日

被告B山は、原告の机の上に、「B沢県職員服務規定新旧対照表」等と被告の「コウノ君 総務よりマーキングペンのところ、よく認識して従来通り所属長の許可、承認するように徹底するようにとのことです(主任)」と書いたメモを置き、原告に休暇を取りにくくする心理的圧力をかけた。

(七) A山一枝教授との車の貸借を巡る誹謗中傷

原告は、平成八年一一月から平成九年九月までA山一枝教授(以下「A山教授」という。)に車を貸していたところ(車は、平成六年三月に購入した新車であった。)、返却を受けた際に付いていた傷の修理代をどちらが負担するかについて紛争が生じたが、これに付いて、被告B山は、「八年も九年もたった古い車を貸しておいて、修理代を要求するとは公務員としてあるまじき行為」等と事実を歪曲して述べ、その旨事務局長に報告して原告の名誉、信用を毀損した。

(八) 兼業妨害

原告は、平成三年から、知事の兼業承認を得てB沢文化女子短期大学看護学科生理学及び栄養学科解剖生理学の講義、実習の非常勤講師を担当していたが、被告B山は、本務に支障があることを理由に承認申請書類の受領や押印を遅らせたり、拒否する権限がないのに、以下のとおり、兼業申請を妨害した。

(1) 平成六年二、三月ころ、原告が次年度の兼業申請を出したところ、「解剖生理学について原告には教える能力がない。」ので許可しないといい、原告の兼業を妨害した(この際は、被告B山がB沢文化女子短期大学の部長から説得されて考えを改めた。)。

(2) 平成一〇年三月三日、E田講師、D原助教授同席のうえ、原告に対し、同短期大学の兼業申請につき、「リアルスケジュールがない。本業に支障がある。」「なんでしたいねんやろ。解剖生理の専門家でもないのに」等と述べ、また、本業への支障につき原告が説明を求めると、「教室に来て出席の名札を変えない。ペーパーが上がってない。教室の取決めを無視している。」等と述べ、兼業承認申請書への押印を拒否した。その結果、原告は次年度の兼業承認申請書を教授会に提出できなかった。

従来、大学からの講師依頼書の提出がなくとも兼業申請は承認されるのが通例であったが、被告B山が講師依頼書の提出を執拗に要求するため、それを待っていたところ、被告B山が兼業承認願を早く提出するように指示したため、平成一〇年二月一〇日、前年度の実績に従った時間数等を記載した兼業承認願を提出した。しかし、同月一二日、B沢文化女子短大の教務部長より、次年度の原告の担当するコマ数が減るとの通知を受けたため、同日付けで改めて兼業承認願を提出した。また、原告は三月三日の面談の際年次計画書を持参しなかったが、それは、そもそもB沢文化女子短大では講義スケジュールは講師が確定してから作成するものであったため、入手が不可能だったからである。しかし、被告B山が執拗に年次計画書の提出を要求したため、やむを得ず、原告がB沢文化女子短大に頼み、同年四月八日、同大学の教務部長がB沢医大まで講義予定表を持参した。そこで、原告は、同月九日、改めて兼業承認願を提出した。しかし、承認が遅れたため、原告は、四月一〇日に予定されていた第一回の講義は休講にせざるを得なかった。

2  被告ら

(一) 加害行為の不存在

被告B山が、原告に対して違法な行為を行ったことは否認する。被告B山の行為がアカデミック・ハラスメントであるとはいえないし、また、被告B山が教授選挙に対する恨みから原告に対して嫌がらせを行ったことはない。

(二) 被告B山の教授就任後平成五年九月二二日の教室会議までの状況

(1) 被告B山は、平成五年四月一日、公衆衛生学教室の教授に就任し、教室主任となったが、就任当初、教育研究や適正な教室管理等を行い、教室主任としての職責を果たすためには、公衆衛生学教室の状況を把握する必要があると考え、学生の夏季休業期間までの間は、公衆衛生学教室の状況をよく見聞・観察することに徹していた。その中で、被告B山の気がかりとなったのは、原告が無届で欠勤することが多く出勤が不確定であり、出勤していてもその所在がはっきりしないという勤務状況などの悪さであった。本学の教員は、いうまでもなく地方公務員(一般職)である以上(教育公務員特例法三条)、教育公務員特例法、地方公務員法、B沢県条例・規則等に従って、所定の勤務時間に出勤・在校して職務に専念すべき義務を負い(地方公務員法三五条。もちろん教員の職務を単純に行政職職員等と同一に捉えることはできないから、その勤務態様等については、ある程度柔軟に捉えていく必要はあると思われるが、それでも公務員である以上、所定の勤務時間を遵守し、職務に専念することがあくまでも基本である。)、出張する場合には旅行伺兼旅行命令簿を提出して教室主任及び学長の了承を得、休暇をとる場合には年次休暇届等を提出するなどの手続を履践しなければならないことは当然のことである。特に、助手は教授及び助教授の職務を補佐をすべき職責を負う(学校教育法五八条七項)ものであるし、また、自然科学分野の研究者は、多くの場合、実験を中心として研究を行うが、実験は自宅で一人でできるというものではなく、大学の設備等を利用し他の教室員等と協調して遂行していく必要があるのであり、そのような観点からも、職務遂行のためには、実験設備・機器のある大学へ出勤し在校する必要がある。それにもかかわらず、原告は出勤状況、勤務状況が悪く、それによって、公衆衛生学教室内の施設管理や機器の使用に支障が生じ、他の教室員から不満が出ていたり、原告を実習の指導教官に選んだ学生が原告への連絡がつかず困ったり、実験器具や化学薬品の搬入業者も困るという状況が生じていた。

ちなみに、原告の出勤状況は以下のとおりであった。

ア 毎週金曜日の欠勤

原告は、B沢文化女子短大へ非常勤講師として出講している毎週金曜日は、同短大での授業時間以外の時間及び同大学で講義がないときも含め、ほとんどすべて欠勤していた。

イ 平成五年九月二二日の教室会議までの原告の出勤状況

原告は、平成五年度においては、学生の夏季休業時間中はほとんど出勤していない。日時を特定できるのは、七月二一日、二二日、二六日ないし二八日、三〇日、八月二日ないし六日、九日ないし一三日、一六日ないし二〇日、二三日ないし二七日、三〇日、三一日、九月一六日であり、いずれも休暇届や出張届等の提出もなく、公衆衛生学教室に対する口頭の届け出すらない無断欠勤であった(なお、七月二三日及び二九日は、A本市立大学への出張届が提出されている。)。

原告は、これら特定できる日以外にも、多々無断欠勤や無断での出張を繰り返していた。

そこで、被告B山は、教室員の勤務を適正にするため、勤務時間の遵守、職務の専念、諸手続の履践などについて教室員全員に注意を促す必要を感じるに至ったのである。

(2) 原告は、被告B山が原告に対する恨みを持っており、そのため、原告に対する恫喝を行ったと主張するが、否認する。原告主張の、同年四月八日の面談は、原告の要請によるもので、被告B山が原告を恫喝した事実はない。

(3) 平成五年九月二二日の教室会議の議題は、教授会の報告、平成六年度大学院中央研究施設器機の予算申請に関する報告等であったが、被告B山は、最高学府に働く社会人として互いの権利と自由を認め合い協調して研究教育に携わっていくためには、職場における最低限の法的常識を勉強しておくべき必要があると感じたことから、この日の教室会議において、地方公務員法の一部を読み上げ、これを確認するとともに、もって教室員全員に対し、勤務時間を遵守し、職務専念義務を果たすよう注意を促したのである。その動機は、あくまでも公衆衛生学教室員全体の資質の向上を図り、公衆衛生学教室の研究・勤務環境の改善を図ったものである。なお、被告B山が、原告の勤務状況が悪いために改善を試みた点は、休暇・出張の届出手続の誠実な遵守徹底と常識程度の行き先表示板の設置などにすぎない。

(4) 原告が大学院中央研究施設器機の予算申請に関する報告に対し、次年度は原告の意見を聞いて欲しいと述べたので、被告B山は、原告の要望を容れて、「来年からそういうふうに、A野さんがおられましたら、そういうふうに致します。」と丁重に回答した。この回答の背景には、原告が同年六月ころに広島大学総合科学部・自然環境研究コース・自然環境研究講座の助教授に応募していた事実があり、原告が同大学に任用される可能性も被告B山の念頭にあったため、このような話となったものである。

(三) 研究妨害について

(1) 出張妨害について

教室主任は、学長からの包括委任により、教室員の勤務時間の遵守、職務専念、出張届等の履践等を指示、指導等する権限を有しており、「教室主任」との名称が付与されていること、旅行伺兼旅行命令簿に教室主任の押印を得て学長に提出することとされていること、勤務に関する事項等を含む各種文書がすべて教室主任宛に発せられていることなどはこのことを示している。個々の出張の妥当性については当該教室の教育・研究の現状を直接理解・把握している教室主任の教授が的確に判断できることから、旅行伺兼旅行命令簿に教室主任が押印して学長に提出することとなっているのである。

被告B山が、出張届について原告に注意を促したのは、本件各教室員の勤務・研究状況全体を向上するためである。原告を標的とするような意図はなかった。

ア 原告主張の平成六年五月二三日の出張については、原告は同月二〇日(金)は兼業のため出張し、同月二一日及び二二日は週末で大学は休み、翌二三日は右の出張の日であり、原告はこのように連続して大学に来ておらず、原告が主張するような事態が生じるはずがない。

イ 原告主張の同月二三日の出張については、廃液が第三研究室に放置されていたところ、教室員から同廃液を出すような実験を行っているのは原告であると指摘を受けたので、被告B山は、本来、同廃液は原告自身で処理されるべきものであり、また、同廃液の漏出により床を破損させることを危惧し、「廃液は自分の部屋で管理されるようお願いします」等と記載したメモを置いて、同廃液を原告の第二研究室の前室部分に置いたのである。無断出張と言いがかりを付けたことは否認する。

ウ 原告主張の平成七年五月二四日の教室会議において発言した事実は否認する。

エ 原告主張の平成七年七月一一、一二日の出張については、被告B山は、約二か月前に許可していたために、そのことを忘れてしまっており、そのようなメモを置いてしまったまでであり、その後、原告に謝罪している。

オ 原告主張の平成九年二月以降の出張については、原告は、B沢文化女子短大の講義のない春休みの間に「二月から三月にかけて集中的に」出張したいとの要請をしてきたが、同短大の春休みは三月二一日から四月七日、本学の春休みは三月一五日から四月一〇日であって、原告の言うような二月から三月にかけてではないことや、原告の勤務状況が相変わらず悪かったことなどもあり、原告の本務は本学での勤務であるから本学へ出勤するようにという趣旨から、本務を怠らないようにしてほしいための一般的な注意としてメモを置いたものである。右メモには、出張を制限する文章はないし、被告B山が原告の京都大学への出張や実験を妨害したことなどはなく、これらの原告の主張は根拠のない言いがかりである。

また、岡山での研究会は、原告の研究分野に関連し、かつ世話人であるB川冬夫教授が社会医学分野の重鎮であったことから、原告に出席を勧め、原告も喜んで了解したものである。なお、出張費用は、割り当て予算を使い切ってしまうと自己負担することになっており、本件で原告が自己負担したのも、原告がすでに自己の出張費を使い切っていたためである。なお、原告からのかかる出張費の請求が全くなく出張届け出用紙の支払区分欄が空白であったため、被告B山は本学から支払われる出張費に残高があると思っていた。もし、事前か事後に原告からこれらの請求があれば、被告B山としては、教室の親睦費から教室員の同意の下で支払われることもあったと思っている。

カ 原告主張の平成九年七月九日の出張については、同月八日は、被告B山は、午後二時から教授会、引き続き附属看護専門学校審議会があり、教授室に戻ったのは午後五時前後であった。いずれにしても原告は同日中に旅行伺いを被告B山に提出しないまま、翌九日に本学を欠勤して京都大学へ出張したものである。そのため、事後処理として、本学事務局の指示により年休届を原告に出して貰ったまでである。この件については、事前に被告B山に旅行伺いを出すことができたはずであるのにこれを怠った原告に非があることは明らかである。

(2) 原告の行動監視について

ア 行先表示板は、公衆衛生学教室員の適正な勤務を確保する目的で、公衆衛生学教室員の同意を得たうえで設置したものであり、公衆衛生学教室員全員がその表示板へ記載等をすることとしたものなのであるから、原告の行動を監視するものではない。

イ 平成五年一〇月一四日のメモは、「教室員各人に徹底して下さい。」と明記してあるとおり、同年九月末ころに設置した行先表示板の趣旨を徹底させるため、同年一〇月ころ、教室員全員を対象とするよう教務職員B野に依頼し交付した。しかし、もしもこのメモが原告の手元だけに止まっていたとするならば、回覧されるはずのメモが原告のところで保管されてしまったのかも知れないのである。

ウ 平成七年一〇月九日の教室会議が、同月三〇日に変更されたことがあったかどうかについては定かではない。もしも、このような変更があったとすれば、原告は九日の会議に欠席したうえ、三〇日の会議にも欠席したことから、やむを得ず、被告B山が原告に三〇日の会議の協議結果を通知したのである。原告が言う「教室を一時間以上離れるときは居場所を明記すること。」との教室会議の決定事項は、教室員全員による合意事項となったものを原告に伝えたに過ぎない。

エ 平成一〇年二月一七日の記載については、原告が帰宅する際に、行先表示板のルールを守らず、その掛け替えもせず、上司に一言も伝えずに帰宅するようなことが重なったため、被告B山がやむを得ず注意を促しただけである。特に、同月一二日には、原告は被告B山との面談の約束を一方的に破棄したうえ、表示板の掛け替えも行わず帰宅していたのである。

(3) 原子吸光室の鍵、原子吸光室の管理

原子吸光室は公衆衛生学教室以外の教室員も使用する共同研究室であるにもかかわらず、原告だけが鍵を所持し、また、その部屋又は内部の機器の使用等について他の教員に文句をいい、難癖をつけるなどして、その部屋又は内部の機器の使用は、事実上原告の許可、立会を必要とするという状態で、原告により私物化、独占化された状況であり、他の者が使用するのに肩身の狭い思いをすることが多かった。さらに、原告の出勤が不確定であり、出勤していても所在の不明なことが多いため、教室員等から同装置等を使用したいときに使用できないなどの不満が出されており、また同室のガス漏れ点検にすら支障を来たすという状況になっていた。そのため、原告を介さずに同室への出入りや、同装置の使用ができるようにしてほしいとの要望が出されていた。他方、原子吸光装置は、原告以外の者であっても、操作マニュアルを読んだり講習を受けたりすれば、十分操作しうるものであり、必ずしも原告が管理したり、使用に際して立ち会ったりしなければならないというものではない。

そこで、被告B山は、九月二二日の教室会議において、「(原子吸光装置を)壊すことのないように、業者を呼んで使用講習会をしてから、あなたがいないときでも使用する。」と述べ、原告を介することなく、原子吸光装置及び原子吸光室を使用することとした。しかし、原告は、被告B山の指示に従わず、原子吸光室の鍵を平成八年になって返還したが、その後も現在まで、同室は原告及びその友人ら特定の人物が専用する場となってしまっている。

(4) 第二研究室の管理の干渉等について

ア 第二研究室のドアに原告のネームプレートが表示されている状態は、あたかもプライベートルームのような外観を呈するものであって、大学の研究室としては不適当である。

イ 原告主張の机の明渡しについては、中国からの女子留学生が必要とした事務用の机と場所などについて、被告B山が明渡しを要求したものの、原告はなかなかこれに応じなかった。平成七年四月の教室会議ではこれを口頭で了承したものの、ようやく同年五月末から六月初めころにこれに応じたが、原告は机上やコンクリートテーブルの表面のみを明け渡して机の下やコンクリートテーブルの下などに原告の私物、原告専用戸棚、壁の掲示物などを残したまま長期間放置していたため、留学生が大変困惑していたので、被告B山は、やむを得ず、原告に通知したうえで、同年六月一六日、他の教室員の立会の下、これらの原告の私物等を段ボール箱に入れて第六研究室内に保管した。

ちなみに、被告B山は、原告に、これらのコンクリートテーブルの下などに放置された原告の物品につき、移動させる必要がないとは一切言っていない。

ウ 原告の主張の平成七年一一月一日の言動については、原告の使用している第二研究室は、本来の細胞培養のためのクリーンベンチ設置のために前室・後室に二分されていたが、この施設が他に移動されたため同研究室を不自然に二分する必要がなくなった。現状は甚だ機能的でなく、不要な換気ダクトも天井から突き出したままであるうえ、原告のプライベートルームの様相を呈していたため、教室員全員が室内の仕切りを取り払い、研究室を有効活用することを希望していたところ、このころ、大学の講座研究費以外の予算を使用してこれを取り払う小改築が可能であったため、原告に対し、仕切を除去するよう要請したのである。「先生が退任されても」というのは、教室の施設管理者として将来のために改善を進めていく責務ある立場からする、あくまでも一般論を述べたものである。講座研究費以外の大学予算による改築希望調査はその後もあるが、現在も、原告からは何らの返答も貰えないために、未だにこの改修は出来ないまま今日に至っている。

(5) 研究費の不当配分

研究費を出勤状況に応じて配分することは、勤務の適性化を図る等の観点から、当該教室会議に出席していた教室員全員の総意として決定され、原告がこの教室会議に欠席していたことから交付されたものである。この決定及び原告への通知が原告の研究等を阻害したという事情は全くない。なお、実際には、出勤状況に比例した研究費の配分は行われないまま、この決定の実施は先送りされている。

(6) 動物購入を巡る嫌がらせ

ア 平成八年一一月一三日ころのラット購入については、当該申請手続は遅れたが、原告へのラットの搬入は指定通り行われており実験には何らの支障も来していない。この時期は、被告B山が日本公衆衛生学会の出張の週であったこと等のため、原告が申請書を提出した直後から本学に出勤しておらず、当該押印を失念していたものである。

イ 平成九年一〇月二九日ころの購入については、この時期も、被告B山が日本公衆衛生学会の出張の週であったこと等のため、原告が出した申請書を紛失したため、再度出してもらったものである。そもそも、現在の動物実験の実施状況からすれば、実験動物の購入や動物実験をなしえなくなるということはありえない。なお、被告B山がこの申請書を原告が持っていくように指示したのは、もともと教授自身の実験や教室の共通プロジェクトの研究でもない実験のために、教授自らがこの種の申請書を施設に持っていくようなことは全くなく、研究者自らが当該施設に持参するのが常識だからである。

(7) 学生実習の指導に関する嫌がらせ、中傷

ア 平成七年九月七日の実習発表は、同年四月終わりころに、同年九月二五日(他のグループの日)及び一〇月九日(原告の指導するグループ)とすることが予定されており、被告B山は、これを原告を含む公衆衛生学教室員に対し、口頭及び公衆衛生学教室図書室の行事予定表により周知させていた。原告は、この実習発表日を失念していたのである。現に、原告の指導する学生達も、他のグループの発表日である九月二五日の実習発表に出席参加していた。

イ 平成九年一〇月一三日の実習発表については、原告の実習開始時刻への三〇分以上の遅刻に対し、左記のメモを交付したものである。この時は、原告がこの実習発表に大幅に遅刻したうえ、当日の発表資料の準備不足のため、当日朝に学生二人に発表資料をコピーさせたためこの学生達にも三〇から四〇分程度遅刻させて巻き込むという、教育上からも不適切な出来事があったため、やむを得ず、被告B山が指導したものである。

(四) 学内人事(学内講師の推薦)を巡る嫌がらせについて

原告は、講師に相当する研究業績を有していないため推薦していないだけである。原告の研究業績は、研究期間に比した業績数の少なさに加えて、発表雑誌の科学論文のグレードが高くなく、他者からの査読の有無などの点を見ても学術的に科学論文(原著)として取り扱うことが難しいものが多いと解されるのである。

(五) 専門外の応募を迫り原告を大学から追い出そうとする嫌がらせ

被告B山は、他大学からの教員応募依頼については、公衆衛生学教室員に出来るだけ多くの教員募集情報を提供したいとの考えから、公衆衛生学教室の各教官の全てに提示するようにしてきた。年間約一〇〇件前後(教授就任以降本件提訴までの五年間で約五〇〇件前後)の多数の応募依頼の中で、各教官にとって相応の関係があると思われるものは、個々の教官に応募依頼の書類コピーを見せたり交付することにしており、不在の時はメモを付して教官の研究室にコピーを置くようにしてきた。被告B山は、応募依頼に関する情報を出来るだけ各教官に伝えるよう努力してきたのであって、あとは各教室員の選択・判断等に委ねているものであり、各教室員についてはこれら応募を何ら強要をしているものでは決してなく、このような応募依頼の紹介の方法に不満を持つ教室員もいないのである。被告B山から原告に対する各応募依頼の書類コピーの提示も、上記のような他の教官への応募依頼の紹介・連絡と同様の取扱いに過ぎず、何ら原告を特別に取り扱ったことはない。これらの教室内における平等な取扱いに対して、嫌がらせであるという原告の主張には何らの理由もないのである。また原告以外の教官も、現に、これらの応募依頼書等を見て幾度か応募しているのが実情である。被告B山は、公衆衛生学教室員にできるだけ多くの教員募集情報を提供したいとの考えから、また、原告より然るべきポジションで他大学へ推薦するよう要求されていたことから、多忙な中、教員募集書類をざっと見て各教室員に関係ありそうなものがあれば、それを各教員に交付し、あとは各教室員の選択、判断等に委ねているものであり、各教室員に何ら強要しているものではなく、何ら嫌がらせといわれるものではない。

(1) 原告主張の平成七年六月一二日の広島大学総合科学部については、被告B山は応募を勧めたことはない。

(2) 同年七月のA本市立大学及び長崎大学薬学部への応募は勧めたが、その発達保健学等は原告の専門外ではない。人間福祉学科に所轄されるもので、原告に適すると理解して紹介したものである。

(3) 平成八年八月の相模女子大学及び同年一一月のA本市立大学への応募は勧めたが、その栄養生化学は原告の専門外ではない。むしろ、原告はB沢文化女子短大やC林短大の非常勤講師として栄養学科で公衆栄養学の教鞭を取っていたことから、被告B山としては適切なものと理解していた。なお、被告B山は、原告に管理栄養士の資格がないことを、このことがきっかけで、平成一〇年一月ころ、初めて知った。

(4) 平成八年一二月の京都大学の応募書類は、公募部門が人間環境学研究科であり、原告に適したものと理解して情報提供したものであるが、臨時教員の募集だとは全く気づかなかった。しかし、あくまで、各教室員の選択、判断に委ねられるもので、強要していないから、嫌がらせと言われる理由はない。

(5) 平成九年九月の香川医科大学への応募については、その医療管理学は原告の専門外ではない。むしろ、これは人間環境医学講座助教授の公募であり、担当科目の医療管理学とは原告が短大等で講義を持っている公衆衛生学がカバーする専門分野であると理解されたことから、原告の自負する専門分野であると理解して、紹介提示したものである。

(6) 旭川医科大学への応募については、原告が公衆衛生学の専門家と自負しており、日本衛生学会の評議員でもあること等から、教授職についての公募情報を提供しないのは不公平とも思われたため、「よければ応募されては如何でしょう」と意向を打診してみたものである。助手が教授に二階級特進することもありえないことではない。

(7) 滋賀医科大学への応募については、その予防医学は必ずしも原告の専門外ではない。予防医学は原告が専門を自負する公衆衛生学の目的・理念となる分野であり、原告がこの分野を専門外にして疎いということはないはずである。また、滋賀医大は近畿圏にあり、その意味でも原告に情報提供してみたものである。

(8) 大阪府立看護大学医療技術短期大学部については、必ずしも専門外ではない。同短期大学部の講師は、臨床栄養学科の講師であり、原告が短大の栄養学科で公衆栄養学の講師をしていたことや、本学の看護短期大学部の講師以上の教官募集に平成七年一、二月ころ応募していたことから、原告に適した公募先であると考えられた。なお、被告B山は、原告が管理栄養士の資格を持っていないのではと思うことが念頭にあったため、公募情報提供の一環として、この公募書類の提示に付したメモに原告主張の記載をしたものである。なお北海道医療大学歯学部口腔生化学講座の教授と長崎大学医学部の放射線疫学の担当教授の応募書類が原告の机上にあったとすれば、これは上記大阪府立看護大学医療技術短期大学の公募書類に一緒に綴じてあったため、そのまま原告の手元に届いたものであると思われる。

(六) 休暇取得に関する嫌がらせについて

(1) 平成六年一月四日

同日のメモは、原告の勤務状況が一向に改まらなかったことから、その適正化を図る必要があると考え、原告の出勤状況を確認するために、B野に対し、報告を求めたのである。この指示は、原告の勤務状況が悪く一向に改善されない中で、やむを得ず、原告の勤務を確認することを指示したに過ぎない。

(2) 平成六年八月八日

夏季休暇中とは学則で定められている学生の休業期間に過ぎず、研究者が夏季休業中研究に支障がない限り自宅研究できるような慣例などは存在しない。研究者といえども、公務員としての遵法精神と矜持を持つべきであり、原告の主張するような法外な特権を享受できるわけではない。従って、教職員は、勝手に休んでよいというものではなく、有給休暇を取るか、教室主任等から自宅研修の承認を得る必要がある。原告が八月八日に無断欠勤したために注意したのである。

(3) 平成七年一二月二七日

原告の問題としているメモ等の記載は、特に二七日のことだけを述べたのではない。原告が体調不良等により欠勤や早退したことは毎年数回ないし一〇回程度あるが、この時期までは所定の諸届出がなされたことがなかったため、せめて平成八年からは、これらの勤務状況を改善して原告に法定の手続を履行してもらうために、一般的な注意事項として指導したものである。なお、原告は、自ら研究の自主性を強調しているように、一二月二四日は被告B山の命で勤務したのではなく、自主的に実験を行ったに過ぎないから、週休日の振り替えは認められない。また、代休届なるものも出されていない。

(4) 平成九年一〇月二三日

私傷病の場合、普通は特別休暇が取られるところ、特別休暇を取る場合、医師の診断書を添えて特別休暇願を提出し、承認を得ることになっている。平成七年一二月末ころの原告への諸届出の履行などの前記要請にも関わらず、原告は、その後も、欠勤や早退について殆ど届出を怠っていたと言う状態が続いていたため、被告B山としては、やむを得ず、私傷病気休暇の場合の特別休暇願の手続を履行するようファックスによる連絡をしたに過ぎない。静穏なファックス通知という方法をとったに過ぎないことや、即座の診断書提出を要求するものではないことから、嫌がらせといわれる理由はない。

(5) 平成一〇年一月一九日

同年一月一八日の入試日の出勤に関する同一九日の振替休日取得に関しては、当初は、全く事前の通知や届出のないままの欠勤となっていたため、やむを得ず注意を促すこととなったものである。そこで、被告B山が、一月一九日の代休(正式には週休日の振り替え)の処理について、事務局総務課に問い合わせたところ、便宜的に年次休暇届用紙を使用して、代休(週休日の振り替え)であることを記載して提出すれば当該日を代休(週休日の振り替え)として扱うと回答されたことから、原告に対し、そのように伝えて年次休暇届用紙を添えて置いただけである。実際も、一月一九日は、週休日の振り替えとして取り扱われており、原告の年次休暇は消化されていない。

(6) 平成一〇年二月二日

原告が、職員服務規程の改正内容を誤解して、年休届等の書類に教室主任の印がいらなくなったと勘違いし、特別休暇願の教室主任押印欄を勝手に抹消して総務課に提出するということがあったから、被告B山は、事務局に確認のうえ、原告のかかる誤解を改めてもらうためにそのようなことをしたのであって、かかる所要の指導は、何ら嫌がらせではない。

(七) A山教授との車の貸し借りを巡る原告に対する誹謗中傷について

被告B山は、「あとで見つかった傷については修理費を折半して円満に解決してはどうか。」「同じ基礎医学の教官同士でもあるし、できれば半額にしてあげて欲しい。」と言ったに過ぎない。

(八) 原告の兼業妨害

被告B山が、原告の兼業承認申請書類の受領や押印を遅らせたり、兼業申請を妨害したような事実は一切ない。兼業承認の要件である本務への支障の有無等は教室主任が最もよく判断できるところであり、兼業承認の実質的判断は教室主任が行い、その実質的判断のため、教室員に対し、兼業従事時間等に関する説明や資料を求めることができ、また教室員に対する勤務管理者としての立場と相まって兼業に関して、教室員に対し、本務遂行に関する勤務上の注意を促すことなどもなしうるものである。

(1) 原告主張(1)の事実は全くない。

(2) 原告主張(2)については兼業承認の実質的な審議は教授会において行われるものであるが、その際に質問等に応答するのは当該教室の責任者である主任の教授であることから、教室主任としては、兼業先の短大からの講師依頼書と申請者の兼業承認願いの兼業時間数が食い違ったり変転するというような杜撰な書類の提出があったときには、申請者に対し、これに関する説明を求めて是正するなどの手続を経ない限り、かかる申請書等を教授会に提出することは困難となるのである。被告B山は、原告の本学での勤務状況が悪いことから、毎年原告に対し、本務に支障を来たさないよう注意を促してから兼業承認願に押印をしている。平成一〇年二月一〇日、原告から同日付B沢文化女子短大での兼業承認願が提出されたので、被告B山は、同月一二日午後四時三〇分に原告と会う約束をして、本務に支障を来たさないよう念を押し、注意を促すこととし、その上で右兼業承認願に押印する予定でいた。ところが、同日午前には、原告から同日付兼業承認願が提出され、同日に被告B山は原告と会うことはできなかった。原告の提出した同月一〇日付兼業承認願と同月一二日付兼業承認願は、記載されている兼職従事時間数が異なっていた。その後、B沢文化女子短大から同月一二日付非常勤講師依頼書が被告B山のもとへ送付されてきたが、そこに記載されている兼職従事時間数は、右の二通の兼業承認願に記載された兼職従事時間数と全く異なっていた。その後、さらに同月二七日に、原告から三通目の同日付兼業承認願が提出され、この承認願に記載された兼職従事時間数は、B沢文化女子短大から送付されてきた非常勤講師依頼書に記載されている兼職従事時間数と同じであった。被告B山は、原告の提出してきた兼業承認願の兼職従事時間数の記載が、なぜこのように三転したのかを知るため、原告に対し、B沢文化女子短大の平成一〇年度のリアルスケジュール(年次計画書と学生向け時間割)をもって同年三月三日午後四時三〇分に来るよう、行先表示板に記載して通知した。同月三日を指定したのは、兼業承認を審議する三月六日の教授会に間に合うように配慮したものである。同月三日に、原告は被告B山の研究室へ来たが、ほとんど怒鳴り込むような状況であり、年次計画書等も持参せず、B沢文化女子短大における兼職時間についても十分な説明をしなかった。その後、原告からは兼職に関して何ら音沙汰がなくなっていたが、同年四月九日、原告から同日付兼業承認願が提出され、B沢文化女子短大の年次計画書等も提出してきたことから、被告B山はこれに押印し、同月一四日の教授会の審議も経て、原告の兼職は承認された。

二  争点2(被告B山の不法行為責任)について

1  原告

被告B山の行為は、原告を嫌悪し、原告を職場から排除する意図で、嫌がらせを継続したものであり、故意による不法行為であり、民法七〇九条、七一〇条により損害賠償義務を負う。

2  被告B山

原告は被告B山の行為が公権力の行使に当たるとして国家賠償法一条の規定により被告B沢県に賠償請求をしているのであるから、一般不法行為に基づく被告B山に対する損害賠償請求はなり立たない。

三  争点3(被告B沢県の国家賠償法による責任)について

1  原告

被告B山の行為は、原告の上司としての地位に基づき、県立大学における公権力の行使として、その職務を行うについてされたものであるから、国家賠償法一条により、賠償責任を負う。

2  被告B沢県

被告B山の行為が、原告の上司としての地位に基づき、県立大学における公権力の行使として、その職務を行うについてされたものであることは認めるが、何ら違法なものではなく、被告B沢県は損害賠償義務を負わない。

四  争点4(職場環境配慮義務)について

1  原告

(一) 以下のように、被告B沢県は被告B山による原告に対する嫌がらせ行為が存在することを知っていた。

(1) 原告は平成五年九月、石川学長に対して、被告B山の行為を説明して善処を求めたし、グルンド会にも善処を求めた。

当時のグルンド会の会長である第一解剖学教室のC原一夫教授(以下「C原教授」という。)は、この問題をE山学長に報告した。

(2) 原告は、平成六年五月一七日の教室会議の数日後に、旅行伺兼旅行命令簿への被告B山の押印拒否を相談した。

(3) 原告は、平成七年五月二四日の教室会議の出張の日数制限の発言について、総務のD田二夫(以下「D田」という。)係長に相談した。

(4) 原告は、同年六月一二日の広島大学の応募書類とメモについて、総務のE野三夫(以下「E野」という。)に相談し、これを渡した。

(5) 原告は、同年七月一三日、「無断出張、夏季休暇から引く」とのメモを総務のE野に渡した。

(6) 原告は、同年一〇月二三日、総務課長補佐A原四夫(以下「A原」という。)に、三〇日の教室会議で集団いじめに遭いそうだと相談し、同年一一月一日、同人に教室会議の決議事項を渡した。

(7) 事務局長B田五夫(以下「B田事務局長」という。)は、平成九年九月三〇日ころ、原告とA山教授との自動車の修理を巡るトラブルに関して、被告B山から事実を歪曲した原告に対する誹謗中傷を聞いた。

(8) 原告は、平成一〇年三月、B沢文化女子短大の兼業承認願の押印拒否について、総務の副主幹C野六夫(以下「C野」という。)に相談した。

(二) 被告B沢県は、原告に対し、原告の学生に対する教育・指導、学問・研究に重大な支障を来す事由の発生を防止し、支障が発生した場合には、速やかにこれに対処して、支障を除去する雇用契約上の義務を負っていたものである。そして、前記のように、被告B沢県は、被告B山の原告に対する嫌がらせが行われていることを認識していたのであり、またこれを排除して原告の職場環境を改善することも可能であったにも関わらず、これを怠ったのであるから、債務不履行責任は免れない。

2  被告B沢県

本学では、各教室主任に学長の統督権限が包括的に委任され、各教室ごとに、教室主任を中心として業務が運営されているのであるから、教室内の問題に関して、被告B沢県の職場環境配慮義務違反が問われるためには、学長などの大学の機関に対し、被害状況を具体的に認識させうる程度の苦情申立のなされることが前提である。

学長E山は、平成五年ころ、原告と話をしたことはあるが、話題となったのは、教授会構成資格のことであり、被告B山の嫌がらせなどは話題になっておらず、その善処を求められたことはない。またD山元学長、総務課職員、B田事務局長等に対し、苦情申立がなされたともいえない。さらにグルンド会は、B沢医大の機関ではないから、同会へ善処を求めたことがあるとしても、同会には何ら権限、責務があるわけではなく、グルンド会が、原告に代わって、原告の苦情を学長など大学の機関へ申し立てたという事実もない。

以上により、いずれをとっても、被告B沢県が職場環境配慮義務違反を問われる理由はない。

五  争点5(時効)について

1  被告B沢県

原告主張の(三)(1)ア、イ、(2)ア、イ、(4)ア、(六)(1)、(2)、(八)(1)の被告B山の各行為及び職場環境配慮義務違反に基づく損害賠償請求権については、その各行為の日から三年の経過によって時効消滅した。

2  原告

(1) 被告B山の嫌がらせは、平成五年九月以降、原告を職場から排除し、退職させようとの意図をもって繰り返され、継続しているのであって、行為としては継続した一個の不法行為を構成する。従って、被告B山が嫌がらせ行為を止めなかった以上、消滅時効は進行しない。

(2) 被告B沢県の職場環境配慮義務違反による請求は、債務不履行責任を問うものであるから、時効期間は一〇年である。

六  争点6(損害)について

1  原告

(一) 慰藉料

原告は平成五年九月以降今日に至るまでの五年にわたり、公衆衛生学の研究者として公的に寄与する研究に邁進することを阻まれ、研究者として能力を全面的に開花することを阻まれてきた、また、働く者の権利行使を阻害されてきた。原告の受けた精神的苦痛は筆舌に尽くしがたく、これを金銭に見積もれば五〇〇万円を下るものではない。

(二) 弁護士費用

原告は、被告B山の違法行為に対し、その都度、被告B山に是正を求めたが、何ら反省がないばかりか、違法行為を執拗に続けたため、原告は原告代理人に委任して本件訴訟を提起せざるをえなくなった。よって、加害行為と因果関係のある損害として五〇万円の損害賠償を求める。

2  被告ら

被告B山の行為に違法な点はなく、原告の損害賠償請求は理由がない。

第四当裁判所の判断

一  争点1について

1  《証拠省略》によれば、次のとおり、認めることができる。

(一) 被告B山の教授就任と平成五年九月までの状況

(1) 平成四年九月二二日、B沢医大の公衆衛生学教室の先任のC川松夫教授の退官に伴い、同講座教授候補者の選考が開始された。被告B山は、B沢医大の細菌学教室の助教授であったが、公衆衛生学教室の教授選考に応募した。教授選には被告B山の外は一名しか応募せず、候補者は二名であった。

平成五年一月一一日には、基礎医学の教室に所属する医師資格をもたない助手、講師らの有志約二〇名が集まり、原告が中心となり、公募要綱の「医師であることが望ましい」との条件は、非医師研究者の応募の機会を奪い多くの優秀な人材の登用の機会をも妨げるとして、再考と再公募を求める旨の要望書を作成し、原告が代表して、選考委員長D野夏夫宛に提出した。また、原告は、同月一八日、E川七夫助手とE山学長を訪れ、被告B山が適任でないなどの理由から、再公募を求めた。

右教授選挙においては、専門以外の人材を登用すれば、B沢医大の環境衛生上の醜聞を週刊誌に発表するなどと記載した怪文書が各教授に郵送されたり、「候補者の再公募をしないことが決定し、B山教授誕生の危険性が増したが、このような汚物のような人物を教授にしていいのか。B山は、学会では“狂人”として排斥されている」旨を記載した被告B山を誹謗する文書が産婦人科教室のA林八夫教授に送られたり、選挙の前日には、B沢医大のあちこちに「変人B山を教授にするな 人格崩壊を理由に教授選5回以上落選(他大学)のB山を教授にしたらB沢医大の恥だ」などと被告B山を誹謗するビラが貼られたりした。

しかし、教授選では、被告B山が公衆衛生学教室の教授に選任された。その結果、同年四月一日、被告B山は公衆衛生学教室の教授に就任し、原告の直属の上司となった。

(2) 教授選終了後、被告B山は、C川教授と引継ぎのため面談し、その際、C川教授から教室内での廃棄物の処理に関する忠告の他に、原告が被告B山が教授に就任することを望んでいなかったこと、原告が同じ女性であるD原助教授を意識しているきらいがあり、特にD原助教授の夫が所属する第一内科の医師達とは研究時間帯がずれることからトラブルが絶えないことなどを聞かされた。また教授職辞令受理の報告のため、E山学長を訪れた際には、同学長から、被告B山が教授としての適格性を欠く者であると知事に直接文書を差し出した者がいることやまた県庁の民生部にも被告B山が公衆衛生学教室の教授候補者として応募した際の申請用紙に「聾桟敷」と記載したことをとらえて「B山は、教授として不適切だ」と訴えた者がいたことを聞かされた。

(3) 被告B山は、平成五年四月一日から、公衆衛生学教室において、教室主任として勤務することになったのであるが、公衆衛生学教室にある教授室、図書室、第一ないし第六研究室のうち、各研究室は原告ほかの教員等に割り当てられ、原告が、教務職員のB野とともに、女子更衣室や学生自習室として使用される第六研究室を除く研究室の二分の一の面積を事実上使用しており、図書室にも、原告の友人が多く出入りしており、被告B山は、教授室以外にはその研究等に使用できる余地がないと感じざるを得なかった。第三研究室の器機は公費によって購入したものであったが、B野の筆跡により許可を得て使用するようにとの趣旨の貼紙がされていた。

被告B山は、細菌学教室の助教授のころの個人宛の研究助成金で購入した器機類を公衆衛生学教室に搬入した際、これらを設置する場所が全くなく、蒸留水交換装置については、水流を止めると微生物が繁殖することから困惑していたところ、D原助教授の助言を得て、第三研究室のシンク(流し)に接続したが、これを知った原告が「誰に断って接続したのか。」と怒って被告B山に文句を言った。被告B山が搬入した機器類は、研究室前の廊下に数か月置かれていた。

(4) 被告B山は、平成五年四月一日及びその後の同月一四日の教室会議において、教室員の研究概要の提出を求め、実験室、器具等の平等・円滑な使用を求めるなどし、被告B山自身の実験場所の確保を求めるなどした。そして、次のアないしオの事項が確認された。

ア 講座研究費は年間四五〇万円であり、二〇〇万円を共通費(図書・印刷・製本等)とし、助手以上は一人五〇万円を割り当て、予備費は学生実習費から捻出する。原則としてこの一年間はこれでやってみる。

イ 研究プロジェクトについては、各自しばらく自由にやること。

ウ 大学院中央研究室の原子吸光装置については原告が管理、指導する。

エ 公衆衛生学教室における教室研究室の管理、使用については、第三研究室(従前は原告が実験室として使用していた)は被告B山と大学院生が使用する。ただし、ドラフト(排気装置つきの実験台)等の共有施設は自由に使用してよい。第二研究室は原告が使用すると確認された。

オ スケジュール表は作成しないが、連絡がつくようにする。

なお、原子吸光室については、原告が素人が使用すれば機械が壊れると主張したため、その管理を原告に委ねることとなった。また被告B山は、教授室の鍵が他の研究室の鍵と共通であったことから、管財課に申し出てこれを取り替えている。さらにこの日の会議は、原告が途中退席したため、引き続き二週間後の同月二八日に継続することとされ、同日の会議で、講座研究費のうちの共通費の使用方法や教授会(水曜日)の翌日に教室会議を開くこと等が決定された。

(5) また、平成五年四月一日の教室会議において、被告B山と教室員が個別に面談することが決まり、被告B山は、同月八日、原告と面談した。その際、原告は、第一内科の医師達の公衆衛生学教室立入りを禁止すること、教務職員B野に研究をさせ、学位をとらせることなどの意見を述べるとともに、被告B山の講義を聴講したいと述べた。なお、このとき、被告B山は、教授選の際の被告B山を非難する怪文書についての原告の関与を問い質したが、原告はこれを否定するとともに、名誉毀損で訴えるならば訴えたらよいと述べた。また、原告は、原告が中心になって教授候補者選考委員会委員長に提出した要望書の趣旨について説明し、かつ、被告B山が、公衆衛生学について未経験であるなどと述べた。

(6) 原告は、被告B山が教授就任早々の一学期の講義について、三〇分ないし一時間遅刻したうえ、教室の最前列に座り、ノートも取らずテープレコーダーを回して聴講した。被告B山は、話が得意でなかったうえ、原告が、日本衛生学会の評議員であることを意識していたこともあって、右のような原告の態度に非常なストレスを感じた。その後、E田講師の提案もあり、学生に対するのと同じように、原告に対しても主要感染症の感染ルートについて調べることを課題としたところ、原告は「感染経路に関するレポートに代えて」というレポートを提出した。その中で原告は、被告B山から与えられた課題は、本来の業務を中断してまで行う必要性がないこと、講義の聴講目的が学生と異なることから提出する必要がないと判断したこと、自分は一七年間公衆衛生学教室の助手をしており、公衆衛生学については自分なりの意見をもっているが、被告B山が細菌学教室から公衆衛生学教室の主任教授となり、公衆衛生学をどのように発展させていこうと思っているか等について関心があり、これが聴講の目的であること、被告B山の講義について、被告B山が思っている公衆衛生学とはどういうものかを講義で述べて欲しかったこと、「らい」という言葉を使っていたが最近では「らい」という言葉は用いずハンセン病と言っていること、その他講義内容で原告が不足していると考えることなど被告B山の講義についてクレームを記載した。

(7) 平成五年五月初めころ、広島大学総合科学部・自然環境コース・自然環境研究講座の助教授の公募書類が教室に配布され、被告B山が原告に応募の意向を打診したところ、応募するということであったため、被告B山は、推薦状を書いた。この応募の結果は不採用となった。

(8) 被告B山は、教室会議が時間の浪費に感じられ、また、会議中、原告と他の教室員が口論することが多かったことから、教室会議を開催することが次第に嫌になっていった。平成五年九月一四日の教授会の翌日は休日であったことから、教室会議の開催はないと思っていたところ、原告から一五日の教室会議の開催の有無を問い合わされ、やむなく被告B山は同月二二日に教室会議を開催することを決定した。

(9) 第二研究室については、同年四月に、これを原告が使用することとされていたが、同研究室には、公費によって購入した器機があり、これらの器機は公衆衛生学教室の他の研究員も使用でき、他教室の研究員が使用することも許されていた。しかるところ、原告は、第二研究室の扉に、在室か否かを示すネームプレートをかけ、不在時は、鍵をかけ、室内には原告の家族の写真が複数飾られていた。そして、原告は、他大学の講義があって毎週一日は不在であり、また、動物舎に行って不在のことも多く、さらには、原告が、右研究室内の器機及び原子吸光装置について故障するなどと言って他の研究者には無断では使用させなかった。そこで、E田講師及びD原助教授は、第二研究室が原告の私室となっていると批判的であり、被告B山も同様に思っていた。また、他の教室の研究者からも、原子吸光装置の使用について不満が出ていた。

(10) 原告は、研究活動は、それぞれの教官が自立性をもって時間配分を行うことが許されるとの考えであったし、被告B山の教室主任就任前には、スケジュール表に記載するだけで、休暇や出張などにおける手続は厳格ではなかったこともあり、休暇届を出すことはなかった。そして、原告が、同年四月ころ、早退する際に、被告B山に了解を求めたことがあったが、被告B山は、そのときには研究者だからいちいち言わなくても良いと言い、また、所在は教務職員のB野に告げておけば良い旨を述べたこともあった。そこで、原告は、特別、手続もせずに休んだり、出張してきた。原告は、金曜日は、B沢文化女子短大へ非常勤講師として出講していることもあって、毎週ほとんどすべて欠勤していたし、被告B山の予想以上に原告の所在が不明の場合が多く、被告B山は、原告の勤務態度に問題があると考えるようになっていった。原告は、平成五年の学生がいわゆる夏休みに入って以降は、七月二一日、二二日、二六日ないし二八日、三〇日、八月二日ないし六日、九日ないし一三日、一六日ないし二〇日、二三日ないし二七日、三〇日、三一日、九月一六日と、いずれも休暇届や出張届等を提出せず、出勤しなかった。なお、その間、七月二三日及び二九日は、届出の上、A本市立大学へ出張している。

平成六年度大学院中央研究施設器機の予算申請については、同年八月二三日ころが、申請期限であった。右申請に際し、被告B山は、原告の意見を聞くべきか迷ったものの、すでに原告の要求による還元気化水銀測定装置と超音波洗浄装置の購入が決定されていたこと、原告が公衆衛生学教室にあまり出勤しないため連絡が取りにくく、E田講師が無断で休む人に連絡をする必要がないと述べたことから、結局原告の意見を聞かずに予算申請を行った。

なお、教室においては、抄読会が定期的に行われていたが、原告はこれに出席したことはない。

(11) 平成五年九月二〇日、基礎助手会が結成され、原告がその代表となった。

(二) 平成五年九月二二日の教室会議(原告主張(三)(2)ア、イ、(3)、(4)ア)

(1) 平成五年九月二二日、教授会の報告、平成六年度大学院中央研究施設機器の予算申請に関する報告、RIの使用予定に関して、地方公務員法に関して、公衆衛生学教室に所属または公衆衛生学教室が管理する研究室のあり方について、公衆衛生学教室並びに本学に所属する機器の管理並びに使用について、定例教室会議の日程についてなどを議題とする教室会議が開かれた。

この会議において、被告B山は、原告がいつも教室会議の記録をとっていることから、自身も記録をとるために会議当初からテープで録音をした。

(2) 会議は、D原助教授から教授会の報告があった後、被告B山が、平成六年度大学院中央研究施設機器の予算について、「八月二三日が期限であったので、休んでいる方の意見までは聞くことができず、大多数の意見で、PCRの五〇万円位の機械を申込むこととした」旨報告し、何か意見があるかと発問を促した。

原告は、「夏休み中でも」などと発言を始め、これに対して、E田講師から、夏休みの意味について、横やりが入り、被告B山が、学生には夏休みがあっても、公務員には夏休みはないとの発言がされ、原告が、「休んでいるときもあったし、来ているときもあった、被告B山も休んでいた」旨述べ、E田講師が原告に「八月は殆ど来ていない」と言い、被告B山において、「喧嘩せんといて」と制止した後、「来年度から、意見を聞いて頂きたい」旨述べた。被告B山は、「来年から、そういう風に、A野さんがおられましたら、そういう風に致します。」と述べた。被告B山は、これに引き続き、「今、喧嘩になりかけたから、議題全部について議決をする必要があるので、途中退場する方は全権を会の他の方に委任したとみなさせて頂きます」との旨の発言し、「来年は、できるだけ連絡をつける」とまとめて議事を進行しようとしたが、E田講師が「プライベートで休んでいる人に連絡を付ける必要はない」と強く主張した。

(3) 被告B山は、公務員法の件でこのことにも触れるからといって、議事を先に進めようとし、地方公務員法の抜粋の写しを配付した。ここで、原告が、自分も録音したいと言って、被告B山の許可を求め、被告B山は、これに同意した。そして、原告が録音機を設置するのをまって、地方公務員法の条項を読み上げ、公務員の守秘義務、服務規律等であり、教職員の任命権者にも触れ、上司の命令には忠実に従わなければならないこと、職務命令違反は懲戒処分の対象となることなどを説明した。続いて、教室の名札は、電話のあるところで一括して管理するのがいいと言い、有給休暇は上司の許可が必要であること、無断欠勤は認められないこと、兼業届がされている以外の出張は半日でも届け出ること、退出は、一時間以上のものは名札の下に欄を設けるからこれに記載すること、これらが八時間たまると有給休暇一日と解釈されると説明し、一時間無駄なことをしていれば有給休暇だから引かせていただくとも述べた。

このとき、E田講師が、被告B山の制止を聞かず、原告の八月の勤務状況は無断欠勤だといい、原告が、被告B山が四月ころに教員だから報告しなくてもいいし、プライバシーがあるから理由は聞かないと述べたと応酬し、被告B山が、これからは許可を受けて出ていって欲しいと言い、原告が、被告B山に、これまではB野に言っておけばいいと言っていたのを認めるかと聞き、被告B山はこれを認めると答えた。

ネームプレートについては、E田講師が第二研究室のドアに貼ってある原告のネームプレートを外すように求め、原告とE田講師とで口論になったが、ネームプレートを外し、一か所に教室員の所在がわかる表示板を設けることに原告も承諾した。

(4) 次の議題は、研究室のあり方についてであったが、被告B山は第二研究室及び原子吸光室にある器機を原告以外の者も使用できるように提案し、原告は器機が故障するといって、これに抵抗した。

被告B山が、原告に部屋の開放を求める中で、E田講師とD原助教授からも、第二研究室が原告のプライベートルームのようになっていると指摘があり、原告が貼っている家族の写真を巡って、原告とE田講師とで口論となった。原告と被告B山との間でも、原告が機械が壊れると抵抗し、被告B山が壊れたら修理するといい、口論のようになったが、原告の故障したときの責任は誰がとるのかという発言に対し、被告B山が教室の責任で修理し、原告に修理費を負担させない旨述べたため、原告は、しぶしぶ機械の使用を承諾した。しかし、原告が被告B山に原子吸光室の鍵を渡したのは、平成八年になってからであった。

原告は、原告のネームプレートを外すように求められた際に、感情的な嫌がらせは止めて欲しいと述べているが、研究室のネームプレートを外すことや原告の第二研究室及びその中にある原子吸光装置等の管理を教室の管理とすることに、E田講師及びD原助教授が賛成し、原告もこれに従わざるを得なかった。

(5) 原告は、この会議で被告B山が「上司の命令に服さなければ免職処分にする」と発言したとして、同年九月三〇日、グルンド会に対し、「基礎助手会活動の保障と教室内いじめに対する善処を求める要望書」を提出した。

なお、原告は、その後、年次有給休暇を取得したこともあり、平成五年から平成七年までは、年平均一四日の年次有給休暇を利用していたが、その間、休暇届を提出したことはない。

(6) 被告B山は、教室会議の結果を受け、同年九月二九日、図書室に行先表示板を設置した。その形状は、横書きで、左の氏名欄に教室員の名札が貼られ、行先、時間を記載するようになった白板である。名札は表裏で色が異なり、出勤すれば裏返すようになっている。

原告は、行先表示板を設置について、必ずしも賛成していなかったから、記載を怠ることも多々あった。

被告B山は、行先表示板を設置したにもかかわらず、これに記載しない者が多いことから、同年一〇月一四日、B野に対して、教室を三〇分以上離れる場合は図書室のボードに行先を明記するように教室員各人に徹底して下さいとのメモを渡した。

B野は、右メモを原告に渡し、原告はこれを保管している。

(三) 平成六年四月一八日の教室会議

被告B山は、教授就任以来、教室員の研究を各自の自由にしてきたが、教室員がしている研究内容を把握することが必要と考え、平成六年三月四日の教室会議において、共同実験は上司に報告するように言い、かつ、次回の同年四月一八日の教室会議に各教室員の研究課題を説明するように求めた。そして、同日の教室会議においては、原告も研究課題を説明したが、E田講師が、原告の研究におけるヒトの正常組織の入手方法に問題があることを指摘し、原告との間で口論となり、被告B山は、E田講師の意見に同調した。原告は、これ以降、自分の研究に関して、被告B山に説明することはなかった。

(四) 平成六年の休暇に関する事柄(原告主張(六)(1)、(2))

(1) 被告B山は、平成五年一二月二八日の午後、原告の姿を見なかった。また、教務職員のB野は同日の午後早退した。被告B山は、何の届出も聞いていなかったことから、平成六年一月四日、B野のロッカーに、「一月四日に原告が休むのか否か。休むのであれば、無断欠勤になるがたしかめて下さい。一二月二八日は午後五時までの勤務であるのに、B野がなぜいなかったか、説明に来るように。」との趣旨のメモを貼った。原告は、平成六年一月四日、出勤して右メモを見つけた。

(2) 平成六年八月八日の月曜日、原告は被告B山に連絡することなく、行先掲示板に休みと書いて欠勤した。そして、翌日出勤すると、行先掲示板の原告の名札の横に、被告B山の筆跡によって「無断欠勤を説明せよ」と記載されていた。

そこで、原告は、「無断欠勤との指摘だが、八月五日の金曜日には被告B山が欠勤していて伝えることができなかった。必ず連絡せよとの意向なら先生も休みか出張か表示して下さい。教員は、夏季休業期間中は、基本的に自宅研修できることになっている。説明に来いとのメモであるが、先生がまだ出勤していないのでメモを入れる。」旨のメモを被告B山の教授室のメモボックスに入れた。

(五) 原告の平成六年八月二九日からの出張中のできごと(原告主張(三)(1)イ)

原告は平成六年八月二九日から同月三一日まで、出張した。

その間の同月三〇日ころ、第三研究室内のストーンテーブルの下から蛇口部分が破損し、内容液が漏出し続けたままの「一般重金属廃液入れ」とラベルされた実験廃液の容器が発見された。被告B山は、教室教官に尋ねるなどした結果、右廃液は原告が使用していたものと判断し、「自分で出した廃液は自分で責任をもって管理されるよう」との張り紙をつけて原告の部屋の前室に移動した。これに対し、原告は、右廃液は自分のものではなく、一〇年以上も前から複数の人が使用し処理費用の点から問題があるとしてそのまま置いてあったものであること、さらに「ご不審の点がありましたら、張り紙をつけて出張中に部屋に置いておくというようなやり方をとらずに直接おたずね下さい」等と記載したメモを被告B山に渡した。

(六) 平成七年六月一六日の原告の所持品移動(原告主張(三)(4)イ)

平成五年一〇月から中国人の女性留学生がB沢医大の研究生となり、平成六年三月四日、同年四月一八日の教室会議において、同人の専属のスペースを原告の部屋の前室にすることが決められ、原告もこれを了承していた。平成七年に至って、右留学生が大学院入学試験に合格し公衆衛生学を専攻することになったため、同年三月ころにも被告B山は、原告に再度第二研究室の前室の一部を同年六月半ばには明け渡すように要請していた。原告は、同月初め、机の上の私物は片づけたものの、机の下やコンクリートテーブルの下には、そのまま原告の私物が置かれていた、そこで、被告B山は、同月一六日、原告が不在の時に、D原助教授、E田講師等の他の教室員の立会の下、これらを段ボール箱に入れて第六研究室に移動させ、「過日の教室会議でお明けいただくように了承いただいた第二研究室の廊下に面する前室について、期限の六月半ばを過ぎました。……下記の区画に該当する部分を明けさせていただきました。」などと記載したメモを、原告の机の上に置いた。

(七) 平成七年七月の他大学応募書類の提示(原告主張(五)(2))

被告B山は、平成七年七月ころ、原告の研究室の机の上に、A本市立大学生活科学部の発達保健学の助教授(医師免許を有するもの)及び長崎大学薬学部の薬学部助教授の応募書類と「コウノ殿 母校の方もあります。APPLYされては如何?主任」とのメモ置いた。原告には、医師免許はない。

(八) 原告の平成七年七月一一日から一二日の出張(原告主張(三)(1)エ)

原告の平成七年七月一一日から一二日の原告の出張について、届出がなされていたにもかかわらず、被告B山はこれを失念し、「無断で出張した」などと記載したメモを原告の机の上に置いていた。その後、原告から届出を出していることを指摘された被告B山は、原告に対し「ワシが悪かった。」と謝罪した。

(九) 平成七年度の学生実習発表会(原告主張(三)(7)ア)

平成七年度の学生実習発表会は、同年一〇月二三日及び同月三〇日に予定されていたが、同年一〇月一六日から同月三一日の期間が対象学年である五年生の中間試験の期間となったため、同年九月二五日と一〇月九日に変更された。この変更は教職員には口頭ないし教室内の白板への記載で通知され、学生には被告B山が講義の日に変更後の日時を連絡した。また教室内の月行事予定表にも記載されていた。この学習発表会に、原告は出席せず、当日行先表示板の原告の欄に、被告B山の筆跡による「教員ならば実習発表会に参加して下さい。」との記載があった。このため、原告は被告B山に対し、「本日実習発表会だったのですか? 一〇月一日と一〇月九日と伺っておりましたが、一体どうなっているのですか? 連絡をきちんとしてください」と記載したメモを被告B山に渡した。

(一〇) 平成七年一〇月三〇日の教室会議(原告主張(三)(2)ウ、(4)ウ、(5))

(1) 原告は、平成七年一〇月三〇日の教室会議を事前に連絡を受けていたが欠席した。右会議では、そのころ大学の講座研究費以外の予算を使用して教室内の小改築が可能であったこともあり、他の教室員からの要望により、第二研究室内の仕切を取り払うこと、先の平成五年九月二二日の教室会議で設置が決められた図書室にある先行表示板にどこにいるのかを記載することが決められた。また、講座研究費の配分も議題となり、これを出勤状況に比例して個々の教官に配付することが合意された。

(2) 被告B山は、会議の結果を「教室会議報告事項」と題する書面にまとめ、これを同年一一月一日、原告の机の上に置いた。

その内容は、依頼事項、決定事項及び要望事項からなり、依頼事項は、看護専門学校の公衆衛生学の非常勤講師を原告にお願いしたいというものであり、決定事項としては、平成八年度からは、講座研究費をB沢医大への出勤状況に比例して個々の教官に配付することになった。欠勤した場合は、その日数に比例して公費負担による研究費の配分額が減額されるというもの、及び、教室を一時間以上にわたって離れる場合には必ずどこに居るのか明記して下さいというものであった。

また、被告B山は、要望事項として、「休暇が多くて、大学中央研究室としての機能が麻痺しています。速やかに原子吸光室の鍵を管理教室の所定の図書室の引き出しに返還して下さい。研究室の改造が比較的安価になされる最後のチャンスかも知れません。先生が退任されても研究室は残ります。第二研究室の仕切を取り払っていただくよう皆さんが望んでいます。」旨を記載した。

なお、講座研究費の配分については、結局決定どおりには実施されなかった。

(一一) 平成七年一二月二七日の欠勤(原告主張(六)(3))

原告は、平成七年一二月二七日(水曜日)に、誰にも連絡することなく欠勤した。翌二八日被告B山は、原告の机の上に「コウノ君本年(一九九六年)から休暇や出張は上司にまず伺いをたて、許可を受けるのが原則です。必ずいかなる場合もそうして下さい。また、二日以上にわたる病欠の場合は、必ず医師の診断書を出すようにして下さい。主任」とのメモを置き、行先表示板の原告の欄に「休日で上司の命令etcで出勤した場合を除き、その代休は法規では認められておりませんので、一九九六年度から無断欠勤扱いとなりますので銘記しておくように!!(主任)」と記載した。これに対し、原告は、被告B山に対し、同月二四日(日曜日)、LECラットの実験に従事するために出勤したことの代休であるから届け出る必要はないと抗議した。

(一二) 平成八年の募集要綱提示(原告主張(五)(3)、(4)、(5))

(1) 被告B山は、平成八年八月ころ、原告の研究室の机の上に相模女子大学の栄養生化学の助教授または教授の応募を置いた。

(2) 被告B山は、平成八年一一月ころ、原告の研究室の机の上にA本市立大学生活科学部、栄養生化学講座の講師または助手の応募書類と「コウノ先生application真剣に考えられては如何でしょう?主任」とのメモを置いた。

(3) 被告B山は、平成八年一二月九日、原告の研究室の机の上に京都大学人間環境学寄付講座の一年半の任期の助教授の応募書を置いた。

(一三) 平成八年の実験用動物の購入(原告主張(三)(6)ア)

実験用動物の購入については、二週間前までに、動物実験計画承認申請書に教室主任の押印を得て、動物施設長に提出することとなっており、原告は、平成八年一一月一三日の実験用のラットの搬入について、その二週間前に申請書を被告B山に提出していた。しかし、被告B山は、その教室主任欄に押印することを失念していたため、動物施設室事務室への提出が遅れた。このため平成八年一一月一三日付のラットの搬入の審査結果通知書に「申請書の提出は動物搬入予定日の一週間前までにお願いします。」との記載がなされた。

(一四) 平成九年二月及び三月の出張(原告主張(三)(1)オ)

(1) 平成九年二月一三日、京都大学医学部のC田助手が、被告B山に、原告と「カドミウムの骨形成に対する影響」という課題で共同研究をしたい旨を要請し、被告B山もこれを了承した。その後同月二五日に、原告は被告B山にC田助手との共同研究のために「大学が春休みになる二月から三月にかけて(集中的に)京都大学に出張したい」と要請した。しかし被告B山は、C田助手からは共同研究のためのアイデアはすべて原告に知らされており、原告はB沢医大でラットを使用した実験をすればよいだけであると聞いていたことから、翌日「Aノ君 どう言ったらいいのか分かりませんが、三月中、もし文短がDUTYなければ本学で出勤して仕事をして下さい。(支障ありなしの問題ではありません)今現所属がB沢医大になっています。それに一年間の内、リフレッシュも含め本学に不在の日が多いのもたしかです。地方公務員法にもありますが、年間を通して公務員の自宅研修も含め月・火・水・木・金の内、合計で週八時間以内が本学外での自由時間として認められるものです。どうかその点をご理解のうえ協力されるようお願いします。 主任教授」とのメモを原告の机の上においた。これに対し、原告は、再度口頭で出張を要請したが、被告B山はこれを承諾しなかった。

(2) 被告B山は、平成九年三月八日の岡山大学でのワークショップ(衛生学・公衆衛生学の教育に関する研究会)への出席を原告に命じ、原告はこれを承諾して同日及び翌九日の二日間岡山に出張した。この出張費については旅行伺兼旅行命令簿の旅費支給区分欄に原告が印を付けていなかったため、原告に旅費は支給されなかった。

(一五) 平成九年七月の出張(原告主張(三)(1)カ)

平成九年七月八日、原告は、翌日の京都大学への出張のため、被告B山に事前の承諾をとろうとしたが、同人が会議等に出席していたことから午後五時までに被告B山と会うことができず、結局翌日の京都大学への出張については、同月一〇日に事後報告となってしまった。これに対し被告B山は、原告に対し年休届けを提出するように指示し、原告は年休届けを提出した。

(一六) A山教授との車の貸し借りを巡る紛争(原告主張(七))

平成八年一一月はじめ、岡山大学からB沢医大にA山教授が赴任し、第二生理学教室のB谷講師の仲介で原告から乗用車を借りた。A山教授は一年ほど、右原告から借りた車に乗車し、返還時、車体に「止メルナ」と書かれた傷があることがわかった。当初の修理費の見積もりは約一七万円であったが、その後、原告と夫が修理店に赴き、その結果他の傷もあったとして、最終的に原告から修理費として三七万円の支払を請求されたため、A山教授は、被告B山に相談にいった。A山教授から相談を受けた被告B山は、B田事務局長に相談したところ、B田事務局長から「円満に解決するように調整してあげたらいい」といわれたこともあり、同年九月末ころ、原告を教授室に呼び、原告に全額修理代を負担するように言ったが、原告がこれに反発し、口論となり、被告B山は、原告の対応を非難し、このことは事務局に伝えてあるなどと言ったりした。その後、その場に同席していたB谷講師が、原告の車についていた傷は通常乗っていてつくような傷ではないと言ったこともあり、被告B山は、原告に「全額ではなく半額支払ったらどうか」とも言ったが、原告は納得しなかった。その後A山教授と原告との間で、A山教授が原告に謝罪し、修理費として三六万円の支払をすることで示談が成立した。

(一七) 平成九年度の学生実習発表会(原告主張(三)(7)イ)

平成九年度の学生実習発表会は同年一〇月一三日に開かれた。原告の指導する二つのグループのうち、水質汚染グループの発表資料の印刷及びホッチキス掛けが、発表当日の朝の時点で出来ていなかったことから、原告は学生二人に学生課でコピーをとらせ実習発表会の場へ赴き、結局原告は開始から一五分から二〇分くらい、学生は三〇分から四〇分くらい遅刻することになった。このため、被告B山は、原告に対し、「実習発表の時間内に、みだりに遅れて出勤したり自分が指導しているグループの発表に必要とする資料のコピーをするような教育公務員としてきわめて不適切な行為をしないようにすること 主任」と書いたメモを渡した。

(一八) 平成九年一〇月二三日の欠勤(原告主張(六)(4))

平成九年一〇月二三日の朝、原告は体調が悪かったため、病欠する旨のファックスを教務職員のC山宛に送り欠勤した。このため、被告B山の指示により、夕方、C山が「B山先生からの伝言です。病気により休む場合は診断書を出して下さいとの事です。」とのファックスを原告に送った。しかし、原告は医院へ受診するのは受付時間が終わって無理であったこと、また一日休養をとって受診しているときには受診の必要はないとして、事後何らの手続きをとらなかった。

(一九) 平成九年の実験用動物購入(原告主張(三)(6)イ)

原告は、被告B山に対し、平成九年一〇月二九日の実験用のラットの搬入に関する「動物実験計画承認申請書」を二週間前に提出したが、被告B山は、右申請書を紛失し、当日になって、原告が、再度、申請書を持参したので、その主任欄に押印して、これを原告に交付し、原告は、これを動物舎に持参して、実験用動物の搬入を受けた。

(二〇) 原告に対する他大学応募書類の提示(原告主張(五)(6)、(7)、(8)、(9))

(1) 被告B山は、平成九年一〇月ころ、原告の研究室の机の上に、香川医科大学の医療管理学の助教授の応募書類と「コウノ君 よければ応ボされては如何でしょう?」とのメモを置いた。

(2) 被告B山は、平成九年一一月ころ、原告の研究室の机の上に、旭川医科大学の公衆衛生学教室の教授の応募書類及び「コウノ君 よければ応募されてはいかがでしょうか?」と記載したメモを置いた。

(3) 被告B山は、平成一〇年一月一三日ころ、原告の研究室の机の上に、滋賀医科大学の予防医学講座の助教授の応募書類(医師免許を有していることが望ましいとの記載あり)と「コウノ君、応ボを一考されては如何でしょう。主任」とのメモを置いた。

(4) 被告B山は、平成一〇年一月二三日ころ、原告の研究室の机の上に、大阪府立看護大学医療技術短期大学部の講師(管理栄養士の資格を有すること)、北海道医療大学歯学部口腔生化学講座の教授及び長崎医科大学の放射線疫学の担当教授の応募書類と「コウノ君 応ボされては如何でしょう? 失礼ですが、万一資格がないようでしたら、とってでも応ボされるというのはどうでしょうか?」とのメモを置いた。

(二一) 平成一〇年の休暇、欠勤等の届出(原告主張(六)(5)、(6))

(1) 原告は、平成一〇年一月一八日B沢医大の入試日の監督業務のため出勤し、翌一九日原告は本学を欠勤した。被告B山が、原告の欠勤について尋ねたところ、教務職員から原告から昨日の代わりに代休をとるとの連絡があったことを知った。被告B山が、このような場合の事務届出の方法について総務に尋ねたところ、年次休暇届けの用紙に入試業務の代わりと書いて提出するようにとのことであったことから、同日「コウノ君時間外出勤の代休をとる権利は認めますが公務員である以上上司への許可願いが必要となるのではないでしょうか? 下記書類に代休と書きC山さんに提出されたし 主任」とのメモと届け出用紙を原告の机の上に置いた。その後原告から年次休暇届が提出された。

(2) 平成一〇年一月二〇日から二二日までの特別休暇取得のための届け出について、原告は、主任教授である被告B山の押印のない届出を提出したところ、事務局職員から主任教授の押印をもらうように指示されて、再度被告B山の押印を得て再提出した。このため被告B山は、同年二月二日、職員服務規程の改正に関する事務局からの書類(特別休暇の願出の項にマーカーが引かれたもの)を、「コウノ君 総務よりマーキングペンのところ、よく認識して従来通り所属長の許可、承認するように徹底するようにとのことです(主任)」とのメモをつけて原告の机の上に置いた。

(3) 被告B山は、平成一〇年二月一七日、行先掲示板の原告の名札の横に、「大学に出られたら札を変えるようにして下さい。公の規制は協調性をもって守るように。主任」と記載した。これは、同月一二日に原告と被告B山の面談の約束があったにもかかわらず、原告が被告B山に何ら断ることなく、面談の用事はなくなったものと独自に判断して帰宅したために記入されたものである。

(二二) B沢文化女子短期大学の兼業承認

平成一〇年二月一〇日、原告からB沢文化女子短期大学の兼業承認願が提出された。同日、被告B山は、原告の兼業承認申請について、同月一二日午後四時三〇分に話合うことを約束した。同日原告より二通目の兼業承認願が提出されたが、前述のとおり、原告が帰宅したため被告B山との面談はもたれなかった。同月二五日B沢文化女子短大から原告の非常勤講師依頼書が郵送され、その後二七日に同短大の依頼書と同じ兼業時間数が記載された兼業承認願が提出された。その後被告B山は、原告申請の兼業承認願の時間数が三転したことの説明を求めるべく行先表示板に「文短の次年度のRealScheduleをもって三月三日4:30PM話に来て下さい。」と書き加えた。三月三日の面談は、E田講師及びD原助教授も立会いのうえ行われ、被告B山は、リアルスケジュールがない、本業に支障があるなどとして、兼業承認願に押印することを拒否した。結局、原告の兼業承認願は、同月六日の教授会に提出されず、このため、同短大で予定されていた第一回目の原告の講義は休講となった。

(二三) 学内講師推薦(原告主張(四))

B沢医大においては、学内講師は、B沢県立医科大学教員選考基準第一条に該当し、かつ①博士の学位を有する者、②一〇年以上の研究歴を有し、相当の研究業績のある者、③五年以上のB沢医大における助手歴を有する者(ただし、一〇年を超える研究歴を有する場合は、一〇年を超える期間の二分の一を助手歴に加えることができる。)の各基準を全て満たす者から選考するとされている。また右選考は、主任教授の推薦に基づき、学内講師選考委員会において決定するとされている。

被告B山は、原告には講師相応の業績がなく、教育や研究に携わる適性資質に欠け、さらに原告の勤務状況が悪いとして、原告を学内講師に推薦しなかった。

2  以上の認定事実に基づき検討する。

(一) 平成五年九月二二日の教室会議までの事情

(1) 教授変更による原告追出しの意図

原告本人は、その主張の被告B山の所為が、教授の変更に伴って、前教授時代の研究者を排除しようとしたものであるといい、被告B山が平成五年四月八日の面談の際に、原告が重金属の毒性についての研究をしたいなら、しかるべき所を見つけて出ていって欲しいと言った旨述べるが、右発言については、その内容は原告の主張からすれば重大なものであるのに、右本人尋問まで主張されていなかったもので、これを裏付ける証拠もなく、採用できないものである。

原告は、同年五月の原告の広島大学助教授への応募が原告追出工作であるかのように主張するが、右応募は、原告の意思によるもので、これに被告B山が尽力したからといって、追出工作ということはできない。

(2) 教授選の私憤

また、原告は、被告B山の所為は教授選任における私憤をはらすという動機によると主張する。この点については、被告B山は、原告が被告B山の公衆衛生学教室の教授就任に反対していると聞いており、教授選中に流布された被告B山を誹謗する怪文書についても原告が関与した疑いを有していたこと、平成五年四月八日の面談においても、原告が、被告B山に公衆衛生学教室の教授たる資格がないとも受け取られる発言をしたことから、原告に対して、快い感情を有していなかったことは認められるが、被告B山は、教授に就任後、教室の教員全員に、研究については、各自しばらく自由にやることを了解し、助手である原告に対しても干渉することはなかったし、教室における執務についても、原告の判断に任せ、プライバシーには関与しないと述べていたこと、同年八月の研究費予算の申し込みについても、E田講師から連絡は不要と言われるまでは、原告の意見を聞くことを考えていたこと、教室会議において原告と他の教員とが口論となることは多かったが、原告と被告B山との間ではことさら口論となるほどのものはなく、平成五年九月二二日の教室会議までは確執というものもなく推移したことが認められ、これに、右教室会議における公務員の服務及び研究室の利用等に関する議題の原因が、被告B山の教授就任後の事情に起因すると認められることを総合すれば、教授選の恨みが原因になっているとまでは認めることができない。

(3) 被告B山の教授就任から平成五年九月二二日の教室会議まで

被告B山が公衆衛生学教室の教授に就任してから同年九月二二日までの推移をみると、被告B山は、当初は、教室員それぞれの研究は当面その意思に任せ、また、従前の慣行を踏襲し、その中で自己の研究を行っていこうとしたことが窺える。しかるところ、被告B山が搬入した器機の設置について、助手である原告から怒られるという事態に遭遇し、これによって、著しく心情を害したことは推認できる。また、原告が被告B山の講義を聴講したが、その態度は遅刻したり、単に録音するだけであるなど被告B山に対する嫌がらせであるといってよく、被告B山は、講義が自ら自覚するように巧くないところから、これにストレスを感じていた。被告B山は、E田講師から、講義を聴講しているのであれば、学生と同じように課題を与えればいいと言われ、原告に対して学生と同じ主要感染症の感染ルートについての課題を出した。これに対し、原告は、「感染経路に関するレポートに代えて」というレポートを提出し、公衆衛生学に対する自負を記述したうえで、公衆衛生学の専門でない被告B山が公衆衛生学をどのように発展させていこうと思っているかについて関心があり、これが聴講の目的であるなどと記載し、被告B山の講義を批判した。これを、同年四月八日の面談の際の原告の言辞と併せてみれば、原告が、当時被告B山を公衆衛生学の一人前の教授と評価していなかったことが窺われ、また本訴における原告の主張や陳述書の記載にも、公衆衛生学について、原告が被告B山以上の研究者であるとの意識を持っていたことが窺えるのであり、このような原告の態度に、被告B山が面白くない思いをしていたことは容易に窺われる。

一方で、被告B山は、第二研究室が、原告の私室のようになっていること、その中に設置されている器機や原子吸光装置などについて他の研究者から不満や批判が出ており、また、原告の出勤状況が被告B山が当初予想していた以上に少なく、その所在が不明の場合が多かったことが認められるが、そうであれば、これらを改善しようと考えるに至ったことは、教室主任としては当然のことであるといえる。

(二) 原告と被告B山の確執の拡大

(1) 平成五年九月二二日の教室会議

原告が、平成五年九月二二日の教室会議において、被告B山の大学院中央研究費による機器購入に関する報告に、「来年度から意見を聞いてほしい。」と述べたのに対し、被告B山が、「来年から、A野さんがおられましたら、そういう風に致します。」と答えたのは、右のように、被告B山が、教授就任後、原告から一人前の教授として扱われず、嫌がらせともいえる扱いを受けたりして、面白くない思いをしていたことに対する嫌みであったと推認するのが妥当である。ただ、これをもって、被告B山に、原告追出しの意図があったとまでは認められない。

第二研究室及び原子吸光室の管理については、原告の意に反する方向で議事が進められたが、それが他の研究者も使用できるための設備であれば、これを原告が独占して使用する権利はなく、利用できる研究者が公平に活用すべきものであって、そのために原告にある程度の不便があっても仕方のないことである。原告が管理してきたことに他の研究員らから批判や不満がある以上、研究室を他の研究者が使いやすく、私室の印象を排除し、利用を教室の管理にするとの提案は、合理的なものであって、違法な点はない。

原告は、第二研究室が私室のようになっていたことを否定するが、九月二二日の教室会議において、E田講師及びD原助教授からも私室のようになっていることが指摘されており、第二研究室が原告の私室の外観を呈していたことを認めることができる。

また、被告B山が、地方公務員法を読み上げるなどして、上司の命令に従わないと懲戒処分の対象となる旨や、無断欠勤、退出は、八時間たまると有給休暇一日分となる旨、出張の届出は半日でも届けることなど服務等について説明した部分は、これを議題としたことが、従来の原告の勤務態度が原因となっていることからすれば、原告の勤務態度を意識して行われ、原告に休暇や出張における届出や許可手続の履践を求めるものであるということができ、その内容には、有給休暇の説明など、法律の趣旨に反する部分もあり、前述の原告に対する感情が、影響している可能性はあるものの、全体としては、違法というほどのものではない。

原告は、大学の研究・教育職は、その職務の性質上、職務遂行の時間、場所、方法について、職員の広範な裁量権限が不可欠であり、あまりに煩雑、恣意的な規制や指導は、必要性に乏しく、職員の研究・教育の自由を侵害し、研究・教育職務遂行を阻害し、研究・教育活動の効果をも妨げるから、各自の自覚と良識を信頼し裁量に委ねるべきであると主張するのであるが、これに一面の真理は認められるものの、発端は、原告が学生の夏休みに殆ど出勤しなかったことなどから、被告B山やE田講師がこれを問題にしたものであり、研究職とはいえ、公務員であって、その俸給は県民の税金によるものであるから、その執務態度には一定の節度が必要であり、大学に出勤しなくても自宅で研究すればそれでよいというものではない。また、休暇や出張について、届出や許可の手続を行うことも、当然のことであって、そのこと自体が研究に差し支えることは考え難い。

以上のように、平成五年九月二二日の教室会議には特に違法とすべき点がなかったにもかかわらず、原告は、右教室会議での被告B山の発言は、自己が代表である基礎助手会に対する嫌がらせであるとして、グルンド会に対し、被告B山を非難する内容の要望書を提出したりしたため、これを知った被告B山は、右要望書は自己の発言を歪曲するものであり、自己に対する誹謗中傷であると考えた。

その後同年一〇月一四日、B野が原告に対して、教室を三〇分以上離れる場合は図書室のボードに行先を明記するようにと記載したメモを渡したことは認められるが、これは教室員各人に徹底して下さいとのB野宛のメモであって、右事実をもってしてはこれが直ちに原告に対する嫌がらせであるということはできない。

(2) 平成六年八月まで

原告は、平成五年秋、聖マリアンナ医科大学公衆衛生学教授の公募要項が原告の机のうえにおいてあったと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

また、原告は、平成六年二、三月ころ、次年度の兼業申請について、「解剖生理学について原告には教える能力がない。」ので許可しないといい、原告の兼業を妨害したというが、兼業許可はなされており、原告主張の裏付けもなく、右主張事実を認めることはできない。

原告主張の同年五月二三日のA本市立大学への出張妨害についても、これを明確に認定できる証拠はない。

原告は、平成五年九月二二日の教室会議の決定には、しぶしぶ承諾したものの、納得していなかったこともあり、原子吸光室の鍵は返還しなかったし、行先表示板についても必ずしも記載せず、年次有給休暇の届出をしなかった。そこで、被告B山が、これをにがにがしく思っていたことは推定できるものの、平成六年八月まで、特に目立った紛争や確執もなく推移してきた。

平成六年一月四日の被告B山がB野のロッカーにメモを貼った件は、原告が年次休暇届を出さずに休むことから、被告B山がB野に指示したものであるが、原告に対する行為ではない。

同月一八日の教室会議において、原告が報告したヒトの正常組織の入手方法についてE田講師が批判し、被告B山もこれに同調し、このとき口論状態となったことが認められるが、その内容は、純粋に研究手続に関するものである。

(3) 平成六年八月ころの状況

右のとおり、平成六年八月ころまでは、特段の出来事もなく推移しているが、原告が平成五年九月二二日の教室会議の決定に素直に従おうとせず、また、原告がその研究についても、被告B山に説明をしようともしなかったことなどから、被告B山の原告に対する対応は、次第に硬化していったものと推認される。

そして、平成六年八月八日には、原告が夏休みは在宅研究をすることは自由であるとの意識から、行先表示板に「休み」とだけ書き、休暇届をすることなく、出勤しなかったことから、被告B山がその説明を求め、これに対して、原告は、夏季休業期間中は基本的に在宅研修できることになっているなどと記載したメモを被告B山のメモボックスに入れて説明に行かなかった。学生の夏季休業期間中であっても勝手に在宅研修できるわけはなく、在宅研修が必要であれば、その旨を教授に説明して了解を得て行うのが通常であって、平成五年九月二二日の教室会議でも学生には夏休みがあっても公務員にはない旨言われていたにもかかわらず、教室主任の教授が説明を求めたことに応じなかったことは、原告が責められてもやむを得ない。

原告は、研究内容はもちろんその方法などについて被告B山の指導や関与は受けないという立場であったことが窺え、研究のための出張についても自由であり、研究の時間や場所も研究者がその判断で行えばよく、教授の干渉は受けないとの姿勢であったことが窺えるが、長期間研究をしているといっても、また、教授が他の分野から替わってきたといっても、助手であるから、全く対等であるわけはない。しかるに、原告が、右のような対応をしたのであるから、原告と被告B山との間に生じた確執が次第に拡大したのは、容易に推認できるところである。

原告が平成六年八月二九日から三一日まで出張していた間に、被告B山は、第三研究室内に放置されていた廃液の容器に「自分で出した廃液は自分で責任をもって管理されるよう」との張り紙をつけて原告の部屋の前室に移動したが、右廃液が原告のものと判断して行ったとはいうものの、必ずしも緊急を要するものではないから、原告の出張中に行う必要はなく、嫌がらせ的な要素があったものといわざるを得ない。

これより以降、原告と被告B山の確執は、深まっても、軽減することなく本訴に至った。

(三) 平成六年八月以降における原告主張事実について

(1) 研究活動の妨害について

ア まず、出張の妨害であるとの主張にかかる事実については、確かに平成七年七月一一日、一二日の出張届けに関するメモのように明らかに事実と異なるメモを被告B山が置いたことがあることは認められるものの、基本的には、本務であるB沢医大での勤務を優先するように指導したり、休んだ場合にその旨の届出するように指導したものである。またその方法もメモを置くというものであり、その内容も前記認定の程度のものであって、教室主任としての権限の範囲内のものであったといえる。原告は、被告B山に出張を違法に妨害する意図があったと主張するが、平成七年当時原告はA本市立大学や学会への出張は被告B山の承認のもと問題なく行っていること、C田助手との共同研究の学会発表のためのこの時期以外の京都大学への出張は問題なく行われていること、事前に届けがない場合に年休として処理されることもやむを得ないことなどに照らし、被告B山に違法な意図があったとまでは認められない。なお、岡山への旅費宿泊費については、原告から出張費の請求がなかったためであり、違法行為とはいえない。

次に、勤務時間内の監視であるとの主張にかかる事実については、平成七年一一月一日に置かれていたメモは、平成五年九月二二日の教室会議で、行先表示板の設置とこれに対する記入が決められていたにもかかわらず、原告が名札を変えなかったことから、改めて教室会議での決定を得て原告に通知したものであり、また平成一〇年二月一七日の行先表示板への書き込みは、同月一二日面談の約束があったにもかかわらず、原告が被告B山に何ら断ることなく、面談の用事はなくなったものと独自に判断して帰宅したために記入されたものであり、いずれも教室会議での決定事項を守るようにという趣旨のものであり、被告B山の教室主任としての権限の範囲内の行為であって、違法行為とまではいえない。原告は、行先表示板に昼食と記載して、戻ったらまた動物実験室と記載することは、実験を行ううえで効率が悪い、また行先表示板に記載することは自己のしている動作、行動を他人の目からみて説明がつくようにすることであるとして研究に対する妨害であると主張するが、行先表示板への記入は居所を示せばいいものであること、記入に伴い多少の手間は生じるとしても、連絡をとりたい他の教室員がいる可能性があることからすれば、かかる手間は甘受すべきものであって、これをもって研究への妨害とはいえない。

さらに、第二研究室の使用を巡る妨害との主張については、教室の設備の維持管理は基本的には教室内で決定されるものであること、当時他の教室員が第二研究室のあり方に不満を持ち、これを変えることを希望していたこと、平成七年一一月一日に置かれた報告書への記載の程度等を考慮すれば、未だ教室主任の権限内の行為であったといえる。

実験用動物購入に関する妨害との主張については、確かに被告B山の落ち度により、原告のラット購入承認願の提出が遅れたことは認められるものの、これが原告に不当に不利益を与える目的でなされたものとまで認めることはできない。

そして、学生の指導実習に関する被告B山の指導も、原告の欠席や原告の指導していた学生の資料準備の不足が原因でなされたものであり、被告B山の行為はむしろ当然であって、いずれも被告B山の教室主任としての権限の範囲内の行為であると認められる。

イ 他方、平成七年六月の第二研究室内の原告の私物を段ボール箱に入れて移動させた点については、原告の了承を得ることなく、その不在の間に行ったもので、原告の不在時に行わなければならない理由はなく、違法というべきである。

また、講座研究費の配分については、教室内の決定に委ねられているものではあるが、出勤状況に応じて配分するということの合理性が説明できていないし、当時、原告の出勤状況の悪さが問題となっていたことからすると、これが原告を意識してのものであることは推認でき、他の教室員が同意しているといっても、なお、原告に対する嫌がらせの面を否定できない。現実にはかかる決定は実行されていないが、決定したこと自体の違法性を否定できない。

(2) 他大学への応募を勧めたことについて

教室主任が、関連する分野を含めて、広く情報を提供すること自体は何ら違法ではないから、被告B山が、これらの募集要綱等を原告の机の上に置いたことは違法とはいえない。しかし前記認定のとおり、被告B山が、原告に応募を勧めた書類の中には、医師資格を必要とし明らかに非医師である原告には応募資格のないものや、助手である原告に教授職への応募を勧めるものなどがあり、このように応募資格がないことを知りながら、あるいは応募する可能性がないにもかかわらず、原告の応募の可能性を考慮することなく、わざわざメモを添えて応募を勧めるということは、前記のような原告と被告B山との間に確執がある状況下においては、嫌がらせと評価されてもやむをえないものである。

そして原告主張の事実のうち、平成七年六月一二日広島大学総合学部の国際法と心理学の講師の応募については、これを認める証拠がなく、また、平成八年八月の相模女子大学への応募、同年一二月の京都大学への応募は、単に、募集要綱を原告の机の上に置いたにすぎず、それ以上の意図があったとまで認める証拠はないが、右以外については、違法であるというべきである。

(3) 休暇取得に関する嫌がらせについて

原告は、休んだ場合の届出を怠ることが多く、また、遅れて届出を行うといったこともあった。このため、被告B山は、届出を出すよう指導したものであって、休暇届を提出することは、研究者であっても当然にすべきことであるから、いずれも被告B山の教室主任としての権限内の行為であったといえる。

(4) 原告とA山教授とのトラブルにおける誹謗中傷について

原告とA山教授とのトラブルにおいては、被告B山が、原告とA山教授との車の貸し借りを巡るトラブルを調整しようとし、原告に修理代の全額負担を求めたり、事務局にも伝えてあるなどと発言して、原告と口論となったわけであるが、その調整案が原告に不利であったとしても、そのことだけで被告B山の行為が違法となるものではない。この件は、被告B山が、A山教授から相談を受けて原告の説得を試みたもので、全額負担の案を拒否され、さらに半額負担の案を提案して、また拒否されたものであり、原告と被告B山との確執が原因となって発生したものではない。右口論の中で、原告を非難する言辞があったとしても、私的なものというべく、公権力の行使というものではない。

(5) 兼業妨害について

B沢文化女子短期大学の兼業に関し、本務への支障の有無を検討することは、教室主任としての権限内の行為ではあるものの、本件においては、それまでの兼業については問題なく承認されていたこと、平成一〇年三月二七日時点では、B沢文化女子短期大学からの書類も含め、全ての書類が揃っていたにもかかわらず、単に兼業の時間数について変遷したことの説明がなかったとして押印しなかったことは、嫌がらせというべきで、違法行為になるといわざるをえない。

(6) 学内人事を巡る嫌がらせについて

ある者を学内講師に推薦するか否かは、教室主任の裁量によるものであり、被告B山のように、インパクトファクター(学術雑誌のグレードを評価する目的で考案されたもの)の高い雑誌への掲載が少ないことを基準として判断することも裁量の範囲内であって、違法行為になるとはいえない。

二  争点2(被告B山の不法行為責任)について

原告の被告B沢県に対する請求のうち、被告B山等の職務行為を理由とする国家賠償請求については、被告B沢県が被告B山の違法行為について賠償責任を負うものであるところ、国家賠償法一条一項の文言等に照らせば、当該違法行為を行った公務員個人に責任を負担させるものではないと解するのが相当である。

従って、原告の被告B山に対する請求は理由がない。

三  争点3(被告B沢県の国家賠償法による責任)について

被告B山の行為のうち、平成六年八月二九日から三一日まで出張していた間にされた廃液の容器に「自分で出した廃液は自分で責任をもって管理されるよう」との張り紙をつけて原告の部屋の前室に移動したこと、平成七年六月の第二研究室内の原告の私物を段ボール箱に入れて移動させたこと、講座研究費を出勤状況に応じて配分すると決めたこと、A山市立大学、長崎大学、香川医科大学、旭川医科大学、滋賀医科大学、大阪府立看護大学、北海道医療大学、長崎医科大学への応募を進めるメモを置いたこと、B沢文化女子短期大学への兼業の承認書類に押印しなかったことは、いずれも違法ということができるが、これらは公権力の行使する被告B山が職務上行ったものであるから、被告B沢県は、これらによって生じた損害について賠償責任を負う。

四  争点4(職場環境配慮義務)について

原告と被告B沢県との関係は、地方公務員法上の任用関係であり、私法上の雇用関係ではないから、被告B沢県に対し、雇用契約上の義務を前提にその債務不履行責任を求める原告の主張は理由がない。

ただ、右原告の主張には、被告B沢県に対する信義則上の義務違反を問うものも含まれると解されるところ、被告B沢県は、被用者である職員に対し、一定の場所、設備等のもとでの勤務を命じるのであるから、職員が勤務に従事するに際して、その生命、身体等に対し危害を受けないように配慮すべき信義則上の義務を負っていると解される。しかし右義務の発生及び具体的内容については、当該職員の職種、地位、あるいは当該義務が問題となる具体的な状況等により異なりうるものであって、原告が主張するように、当然に被告B沢県には、原告の学生に対する教育・指導、学問・研究に重大な支障を来す事由の発生を防止し、支障が発生した場合には、速やかにこれに対処して支障を除去する義務があるとまでは認められない。B沢医大においては、研究教育、施設管理、学生管理、金銭管理等について、学長による包括的な委任のもと、各「教室」において、教室主任が中心となって、教室会議等の場で自主的に業務内容等を決定し遂行されている。かかる状況を考慮するならば、仮に「教室」内において、ある職員が、他の職員に対し何らかの違法な権利侵害行為を行い、そのため当該職員の職務の遂行に何らかの支障が生じていたとしても、これにより被告B沢県に、当該違法行為の是正を図らなければならない信義則上の義務が発生していたというためには、被告B沢県において、右義務の発生を認識するに足りる程度の具体的な事情を把握していることが必要であるとするのが相当である。

本件においては、原告が、平成五年九月二四日ころ、E山学長に面談のうえ、同月二二日の公衆衛生学教室の教室会議の概要や、被告B山が原子吸光装置を誰にでも使わせると言ったことなどを述べたことは認められるものの、右面談は二〇分程度のものであり、その内容等に照らし、E山学長が、教室内で原告に対する何らかの違法行為が行われたと認識するに足りるものであったとまでは認められない。またグルンド会に対する基礎助手会による申立ては、グルンド会が被告B沢県の正式な機関ではないことから、これをもって被告B沢県に職場環境配慮義務違反を問うことはできない。さらに当時グルンド会の会長であったC原教授が、グルンド会に対する原告の被告B山より教室会議で不当な恫喝を受けたとの苦情を受け、E山学長に報告したことは認められるものの、当時C原教授がいかなる報告をしたのか不明であって、これをもって被告B沢県に職場環境配慮義務違反があったとまでは認めることはできない。加えて、原告は、D山一郎元学長や総務課職員、あるいはB田事務局長に対し、具体的に被告B山から違法行為を受けていることを申し立てたと主張するが、《証拠省略》等に照らし、右事実を認めることはできない。

してみれば、本件において、被告B沢県に前記信義則上の義務違反は認められない。

五  争点5(時効)について

被告B沢県に対する国家賠償法一条の責任の成否は、被告B山の原告に対する違法行為を基にするものである。そして、原告の主張する被告B山の違法行為は、それぞれ日時場所を異にするものであり、原告としては、主張する各違法行為の時点で慰謝料の請求をすることに何らの妨げもなかったもので、これらを不可分一体のものとして把握しなければならない必要性はなく、これらの行為による損害賠償請求権は、それぞれ、その行為のときから進行するものである。そこで、原告の本訴請求にかかる慰謝料請求権は、被告らの時効援用により、本訴提起の三年以前のもの、すなわち、前記認定事実のうち、平成六年八月二九日から三一日まで出張していた間にされた廃液の容器に張り紙をつけて原告の部屋の前室に移動したことによる損害については、既に、時効により消滅したものである。

六  争点6(損害)について

被告B山の前記認定の違法行為は、比較的長期間にわたりなされたものであるが、その程度は、原告の研究に具体的に支障を与えるようなものではなかったし、被告B山が前記認定のような嫌がらせ行為を行うに至るまでには、原告が先に嫌がらせというべき行為を仕掛けたり、また、教室会議で決まり、また、公務員として当然に要求される欠勤や休暇についての手続を、独自の研究に関する考え方に固執して、これを遵守しなかったことに起因するところもあるところ、これら被告B山の前記違法行為の内容、各違法行為に至るまでの原告の対応等本件における諸般の事情を考慮し、原告の精神的苦痛に対する賠償としては、五〇万円をもって相当と思料する。

また、弁護士費用としては、右賠償額に照らし五万円が相当である。よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本哲泓 裁判官 川畑公美 西森みゆき)

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